聾唖と正常・異常の境界線

 今日は東京大学駒場キャンパスにて生物学史研究会が開催されたので出席してきました。発表者は木下知威さんと高林陽展さんで、それぞれ「聾唖のプリズム:京都盲唖院の方法」「20世紀イギリス精神医療の総合的理解に向けて」という表題のもと研究成果を話してくれました。ここでは木下さんの発表について少しメモを残しておこうと思います。

 木下さんの調査は一群のアーカイブを対象にした徹底的な調査をもくろむもので、これぞ歴史研究だなと思わせるものでした。明治11年に開校された京都盲唖院(大正3年に盲部と唖部に分離される)を扱うもので、主要な一次史料は現在京都府立盲学校に保管されている文書群になります。この300点を超える文書には実に多様な内容のものが含まれていて、たとえば生徒個人の成績、試験問題・解答用紙、人事関係の書類、起こった出来事を記した日誌、校則、建物の図面があります。これを当時の新聞記事その他の情報源からえられる情報と組み合わせることで、往時の盲唖院のあり方をかなりの程度再構築できるのではないかと思いました。というかそれこそ木下さんの大きな目標なのでしょう。

 この京都の一施設についてのミクロなまなざしを、外にひらいていく回路を見出そうとする高林さんの質問には感動しました。京都盲唖院が開校されていた時代はちょうど優生学が花開いていた時代であり、その時代において院にいた盲者・聾者たちにたいして治癒の可能性・不可能性、あるいは障害の遺伝性の有無といった関心がどう働いていたのか。また盲唖院が町の中心部に建てられているといるという事実は、非正常の領域に沈黙を強いることで正常の領域を確保するという表象のモデルと衝突するのか、しないのか。これらの質問は盲唖院の事例を近代の正常・異常をめぐる中心的ヒストリオグラフィと突き合わせようとするもので、木下さんの研究が木を見ることで森を見ていると言いうるようになるために必須の視角を提示していました。一流のスカラーの質問とはかくあるべきかな。また木下さんの発表を高林さんのそれと重ねた企画者の藤本大士さんの慧眼にも感謝しなければならない。研究会と懇親会の双方にわたって同時通訳をつとめてくださった手話通訳士の方々、また通訳を可能にしてくれた生物学史分科会の配慮も今日の幸福な気持ちには不可欠であったことも記しておきます。