ポリスと技術 ヴェルナン「古代ギリシアにおける仕事と自然」

ギリシア人の神話と思想―歴史心理学研究

ギリシア人の神話と思想―歴史心理学研究

  • ジャン=ピエール・ヴェルナン「古代ギリシアにおける仕事と自然」『ギリシア人の神話と思想 歴史心理学研究』上村くにこ、ディディエ・シッシュ、饗庭千代子訳、国文社、2012年、385–414ページ。

 引き続きヴェルナンの論文集から、仕事と技術を扱う章を読みました。古代ギリシアの仕事観を考えるためには、まず農業と技術による制作という大きな区別があったことを理解せねばなりません。ヘシオドスの『仕事と日』では農業は宗教的経験と考えられています。厳しい規律にしたがって勤勉に大地を耕すことで神々から恵みを得る活動が農業でした。クセノポンの『家政論』でも農業は職業的な営みとはみなされていません。農業の成功と不成功は技術の有無によって決まるのではありません。むしろ努力と慎重さの程度という人間の値打ちの高低に応じて自然と神々が報いることに農業の本質があります。この点農業は技術の巧拙によって首尾が決まる職業とは違います。人間の努力と結果との距離が大きい農業は、実証的というより宗教的表象システムのうちに組み込まれ続けたのです。

 一方都市で定住し技術を身につけた者が営む職業はポリスでは宗教とは完全に切り離されていました。ではどんな位置を占めたのか。ポリスは個人や家族の自給自足的な生存形態と意識的に対立する形で形成されました。そこでは人びとがそれぞれの能力に対応した仕事をし、そうして互いで互いを補い合うことで共同体が成り立ちます。この意味でポリスは技術に基づく職業に立脚していました。しかし同時に分業が要請する相互補完関係がポリスの一体性を可能にするという考えは強く否定されました。むしろポリスはいかなる職業・技能とも切り離された、平等でほとんど交換可能とも言える個々の市民が、友愛という絆のもとで行動することで共同体として成立するとされました。職業という経済活動の領域は、ポリスを成り立たせる政治的レベルからは意識的に切り離され、周辺に(しかし不可欠な周辺に)置かれたのです。

 職業は神と自然に密接に結びつく農業と対立させられていたものの、ある意味ではそれもまた自然の側にありました。職業が立脚する技術は、各人の生まれつきの能力に依存しており、しかもその行使は道具や作り出すべき製品の種類によって決定されていました。しかもこの制作を要請する需要もまた無限ではなく限定されたものです。このため技術も自然の枠組みのなかに留まっていると考えられました。必要な需要を満足させるのではなく、快楽を生むことを目的とする技術が警戒された(詩人追放論)のは、技術を自然という枠組みから解き放ってしまうと考えられたからです。人間の行為を自然から切り離す契約(法)に基づく商業もまた哲学的・倫理的にスキャンダラスなものとされました。