ラテンアメリカの優生学

The Hour of Eugenics: Race, Gender, and Nation in Latin America

The Hour of Eugenics: Race, Gender, and Nation in Latin America

 研究室でラテンアメリカ優生学について議論されていたので、課題とされていた本を少しのぞいてみました。優生学ラテンアメリカに来たのはもちろん欧州からです。しかしこの学問が一つの運動としてラテンアメリカで盛り上がっていった要因は、ラテンアメリカ特有のものでした。

 著者はこれらの原因を社会的、科学的、イデオロギー的の3つに分類しています。社会的な要因としてはまず、第一次世界大戦によって文明化されたと考えられてきた欧州が互いに野蛮な殺し合いを行なったことが、ラテンアメリカ諸国をして欧州とは独立に自らの国のあり方を把握し、ラテンアメリカの問題にはラテンアメリカ独自の解決をもたらさねばならないと考えたことです。優生学はこのための有効な手段の一つと考えれました。しかし第二に、このような自国への自信の高まりとは裏腹に、当時のラテンアメリカ諸国が深刻な社会問題に直面していたことも優生学の採用を促します。奴隷制が廃止され、欧州から多くの移民が流入し、政治体制が大きく変わります。またブラジルは欧州を中心とする資本主義経済システムの中に深く組み込まれていきました。この結果として社会における分断が深まり、社会不安が高まります。労働者によるストライキが起こる一方で、医者たちはこのような社会を改良する方法として福祉政策を充実させ、その一貫として優生学を用いるべきだと主張するようになります。

 著者はまた優生学運動がラテンアメリカで盛んになった要因として、同地での科学というものが占めていた特権的な地位を強調しています。科学というのものは西洋物質的繁栄と文化的権威の中核をなすものとしてみなされていました。ラテンアメリカの知識人たちは西洋の科学者・知識人が書くものを熱心に摂取していました。彼らにとって科学というのは自らの社会をこれまで規定してきた宗教や古い慣習に基づく後進的な物の見方に対して、社会の進歩を促す知識とみなされていたのです。とりわけ社会的ダーウィニズムは、ラテンアメリカの知識人たちに自らの社会の歴史をいわば理性の目で分析するためのメタ・ランゲージとして広く受け入れられることになります。このような科学のなかでとくに重要視されていたのが医学です。たとえば細菌学の知見に基づいて伝染病の被害を大幅に減らすことに成功したことにより、公衆衛生の向上というのは政治的に正当と認められた目標となっていました。こうして医学の知見を有する専門家たちが政治決定の場に深く関与していくことになります。この医療政策の一つの焦点となったのが家族でした。伝統的な家族のあり方が、社会の変動によって揺らいでいると考えられているなかで、家族のなかの、とりわけ母親と新生児を対象にそれらの衛生状態を向上させ、倫理を教え込み、そして優生学的な処置を施すことが目指されました。

 最後に著者はイデオロギー的な要因を挙げます。ラテンアメリカはインディアン、アフリカ人、そして西洋人が交配することからなりたった混血地域であるとみなされていました。これは多くの場合西洋の知識人たちのラテンアメリカ世界への評価が投影されたものでした。ラテンアメリカの知識人たちはこの評価を受け入れて、自らを純化しようとし、西洋世界から移民を受け入れて自らを白人化しようと試みます。このようないわば人種を軸にした社会改良運動が起こるなかで、科学が大きな役割を果たします。当時の科学というのは社会的状況を解釈するための枠組みとして援用されることが多く、このためしばしば人種主義と強く結びついていました。この結果としてラテンアメリカでは科学は後進社会を進歩させ社会的分断を解消するための道具としてみなされる同時に、人種主義にも強く結びつくという事態が生まれます。科学の中でも人種を改善するという科学という定義を与えられた優生学は、混血により劣ったラテンアメリカ人種を改良するために必要だと考えられるようになったのでした。

 一つのポイントは、科学が持つ社会を解釈する有効な言語を与えてくれるという機能が、ラテンアメリカの歴史や現状への認識と接触した結果として、特定の学の特定の形での隆盛をもたらしたということでしょう。