エピクロス哲学入門

西洋哲学史 2 「知」の変貌・「信」の階梯 (講談社選書メチエ)

西洋哲学史 2 「知」の変貌・「信」の階梯 (講談社選書メチエ)

 最新の哲学史シリーズの中から、ヘレニズム哲学を扱った章を読みました。最新の研究成果も取り込みながら短い紙幅のなかで水準の高い記述が行われています。ヘレニズム哲学に関心がある人はまずここから入るべきです。論述上の特徴として、学派ごとの記述ではなく分野ごとの記述を採用しているということがあります。しかしここではそれを踏みにじって(近藤さんすいません)、エピクロス派の部分だけを紹介します。

資料

 エピクロス(前342/1–271/0)が創始した学派の哲学についての資料は以下のものです。ディオゲネス・ラエルティオス『哲学者列伝』の第10巻にはエピクロスの書簡が3通収められています。彼の教えは1888年に発見された『ヴァティカン写本教説』にも収録されています。ルクレティウス(前94頃–55/1頃)の『事物の本性について』はエピクロスの自然学を歌ったラテン詩です。この他にキケロの哲学著作での紹介、プルタルコスの『モラリア』でのエピクロス派批判が参考になります。ヴェズヴィオ火山の噴火で埋もれたヘルクラネウムの図書館跡からは、エピクロス派の著作が見つかり解読が進められています。この他トルコのオイノアンダの遺跡からはエピクロス派の学説を顕彰する碑文が発見されているらしい。

認識論

 エピクロスの認識論の特徴は知識を感覚と同一視するところにあります。感覚は誤りえないと彼は主張します。たとえ四角い塔が遠くからは丸く見えたとしても、丸い塔という感覚は塔から目に向かって飛んでくる像を正しくとらえている。もちろんそこから塔自体が丸いと判断してしまったら間違いになります。塔自体についてはより近づいてみることで四角いという感覚を得ることができ、これを新たな規準として正しい判断を下すことができます。同じようにして感覚によって物体があるということを私たちは確証することができる。しかもそれは運動している。この運動のためには空虚が必要である。よって物体と空虚が存在するという結論が感覚から導かれます。しかしたとえば天空の事象の原因については、感覚を規準にするといくつもの可能な説明を立てることができます。この場合、原因を一つに限定することはできません。むしろ大切なのは、それら可能的な説明があくまで自然的原因に基づいてなされていることであり、ここから神々が天空の現象を司るという思いなしを排して、心乱されることなく生きることに力点がおかれます。エピクロスにとって「自然研究の意義は倫理的な目的に従属」しています。

自然学

 エピクロスによると存在するのは物体と空虚だけです。神は何らかの仕方で存在するものの、それが世界の運行に関与することはありません。物体は原子からなります。ただデモクリトスの原子論は感覚的性質を約定上のものとみなして、それから実在性を奪い、結果的に感覚への懐疑を産んでしまいます。それに対してエピクロスは感覚を知識とみなす立場から、たとえ感覚的性質が原子のような永続的本性を備えていないとして、それが存在しないとしてはいけないとしています。エピクロスはた原子の逸れという観念を導入して原子の衝突と自由意志を説明しようとしたことが知られています。ただ自由意志の問題については、別の方策でそれをエピクロスが解決しようとしている箇所もあるため、それは決定的な説明というより数ある可能な説明のうちの一つだったのかもしれません。すべては原子なので人間の霊魂も物質です。それは肉体から離れてしまえば 分解してしまい、それゆえ肉体はもはや感じることはありません。よって死は感覚することができず、それゆえ何ものでもなく恐れるにたらないという結論が導かれます。

倫理学

 エピクロス倫理学は快楽主義の立場をとります。とりわけ肉体に苦痛がない状態や、精神に乱れがない状態が究極の快楽とされます。これに至るためには「神は恐れるべきものではなく、死は怖がるべきものではない。善はたやすく得られ、悪はたやすく耐えられる」ということを心に銘記すべきとされます。私たちに本当に必要な欲望は、あやまった欲望とは違い際限なく求めることが出来るようなものではないので、それを満たすのは容易です。またたとえ肉体の苦痛という悪があっても、それでも過去や未来の快楽のことを考えることでそれを耐えることができるとされます。

 エピクロスが特に重視した快楽は友愛でした。「生全体の至福のために知恵が整えるもののうち、友愛の所有がなにより最大のものです」。また哲学の喜びもまた価値があるとされました。

他の仕事の場合には、それが完了したときようやく成果が得られるが、哲学の場合には、その楽しさは認識と一緒に進む。というのは、学びの後に喜びがあるのではなく、学びと喜びとが同時にあるからである。

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