毒麦を主の耕地に蒔くアリストテレス主義者 根占「パドヴァ大学の伝統と霊魂不滅の問題」

  • 根占献一「パドヴァ大学の伝統と霊魂不滅の問題:16世紀世界における宗教と哲学思想」『中近世ヨーロッパのキリスト教会と民衆宗教』平成19–21年度科学研究費補助金(基盤研究B)研究成果報告書、研究代表者 甚野尚志、2010年、17–23頁。

 先日の研究会のさいに無理を言っていただいた研究報告書からの一本です。1489年の5月4日、パドヴァの司教であるピエトロ・バロッツィ(1441–1507)は、大学の公開討論の場でアヴェロエスの知性単一説を論じることを禁止する布告を出します。この学説は個々人の霊魂の救済を否定する以上、死後の応報の否定につながり、そのため現世での倫理の基盤を破壊するというのです。バロッツィの蔵書のなかにはフィチーノの『プラトン神学』(1482年)が含まれており、同書では知性単一説が長々と激しく批判されています。彼に布告を決意出せた要因のひとつとして、『プラトン神学』の読書があってもおかしくありません。

 フィチーノが復興させたプラトン主義哲学が霊魂の個別的不死性を強調したことは、ラテラノ公会議での人間霊魂をめぐる議論に結実します。1510年代に書かれた教書には次のように書かれています。

信徒たちによって常に峻拒されてきた、特に理性的霊魂の本性、それが死すべきものである、あるいはすべての人間にそれが唯一であるという、極めて有害な誤り、毒麦を主の耕地に蒔く者があり、(そのなかの)ある者は哲学者気取りで、この命題は哲学に従えば、真理であるとみなしている。

アヴェロエスの知性単一説と、アフロディシアスのアレクサンドロスの霊魂可死説を哲学者として奉じる者たちが批判されています。この教書にあらわれている論調が、最終的に1513年に教皇レオ10世が出す決定となります。そこでは霊魂の死滅性、あるいは単一性、あるいは世界の永遠性などの問題を公に論ずるものがいれば、それになるべく説得力ある議論で反論するよう求められています。以上のような教会からの干渉は、神学部を欠くイタリアの医学・学芸学部で、アリストテレスの霊魂についての学説を自然主義的に解釈する哲学者が多く存在していたことに端を発するものでした。

 カトリック公会議でもって証明を求めるまでになった個別的霊魂の不死性を異教徒に理解させる必要に直面したのが16世紀後半以降、日本に宣教のため訪れたイエズス会士たちでした。彼等は肉体とともに霊魂が死滅すると説く仏教に挑戦しなければならかったのです。そのような人物の一人として、この論文ではペドロ・ゴーメスの名が挙げられています。