- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2012/06/29
- メディア: 雑誌
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Historical Knowledge: In Quest of Theory, Method and Evidence
- 作者: Susanna Fellman,Marjatta Rahikainen
- 出版社/メーカー: Cambridge Scholars Pub
- 発売日: 2012/01/01
- メディア: ハードカバー
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- カルロ・ギンズブルグ「わたしたちの言葉と彼らの言葉 歴史家の仕事の現在に関する省察」上村忠男『思想』No. 1059, 2012年7月、33–60ページ。
- Carlo Ginzburg, “Our Words, and Theirs: A Reflection on the Historian Craft, Today,” in Historical Knowledge: In Quest of Theory, Method and Evidence, ed. Susanna Fellman and Marjatta Rahikainen (Newcastle: Cambridge Scholars Publishing, 2012).
- http://video.ias.edu/ginzburg
- ここで講演を見ることができます。
2011年にカルロ・ギンズブルグが行った講演原稿を読みました。歴史家が叙述に際して用いる言語は基本的に日常言語です。それは歴史家自身が接する過去の証拠史料でも用いられている言語でもあります。しかしこの言語上の同一性がよく知られた罠を用意します。言葉の意味というのは場所や時代が変われば変化するので、歴史家がある単語が現在持っている意味を、同じその単語が用いられている史料に読み込むことは慎まなければなりません。別の言い方をすればマルク・ブロックが嘆いたように「人々には暮らしぶりを変えるたびに語彙を変える習慣がない」。
このような言語表現上のズレは歴史家と史料のあいだだけでなく、過去の同じ時代の人々のあいだでも起こります。ギンズブルグがかつて分析したフリウリの農民に対する異端審問記録には、農民たちと異端審問官とのあいだでの相互理解が困難であったことを教えてくれます。そこで審問官たちは何とかして被告である農民たちの信念と行いを理解しようとしています。こうして期せずして、異端審問の史料を用いて過去の農民文化を知ろうとする歴史家(ギンズブルグ)が、迫害者である審問官に知的に接近するということが起こります。
歴史家の言語と証拠資料の言語の違いは、歴史研究についてのより一般的な洞察を導きます。歴史家はまず証拠資料にそのまま適用することができないアナクロニスティックな問いを立てます。この問いの調査の過程で修正されて、最終的には証拠資料を残した当事者たちの有するカテゴリーと関連した形での答えが与えられます。しかしここにいたって、最初の問いと得られた答えとのあいだの緊張関係を生かさねばなりません。そうすることで過去の歴史家たちが問いを立て答えを出したときにも同種の緊張関係があったことを意識することができます(「歴史叙述の歴史が歴史研究のうちに組み込まれる必要がある」(52ページ)。)またこの歴史家のカテゴリーと当事者のカテゴリーのあいだを往復することで、一般化へとつながるケース(事例)をつくりだし、その研究(ミクロストリア)を通じて、これまでの認識をくつがえすことが可能になるのではないか(というようなことをギンズブルグは言っているのかもしれない。7節まで8節からつながりがよく分らない)。マルク・ブロックが言うように「『分析』を『綜合』のために用いることができるのは、分析がはじめから綜合を視野に入れ、かつ綜合に役立つものになろうと努めている場合でしかないのである」(52ページ)。
関連書籍
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