異兆から娯しみへ、娯しみから解体へ 変容する畸型論

 1981年に出された畸形についての基本的な論文です。畸型は古代から議論の対象となっていました。アリストテレスの生物学著作では畸型は学問的に扱われています。畸型を凶兆や聖兆として論じることはキケロの著作が行なっています。ソリヌスのような著述家は、アジアやアフリカの特定の地方には畸型的人種が住んでいると論じていました。このような由緒ある畸型論と、バビロンの滅亡の前触れとして「月経中の女は畸型を産」んだという旧約聖書の記述があったことは、キリスト教徒をして畸型を一群の派手な自然現象(地震、洪水、噴火、彗星)とともに、神の怒りの現れであり、来るべき災厄を予告するものとして解釈させるに十分でした。

 怪物的畸型の誕生がパンフレットから学術書にいたるまでの広範な文書で扱われるようになったのは、ルターとメランヒトンが「修道仔牛」と「教皇ロバ」の図版を使って、これこそ迫り来るローマ・カトリックの瓦解を告げるものだというキャンペーンをはり出してからのことでした。こうして畸型はパンフレットを通じて民衆層にも浸透すると同時に、そこでとりあげられた畸型の事例が学術的な書籍に素材を提供することにもなりました。畸型は低俗な水準から学問的水準にいたるまでの単一の共通文化を形成するようになっていたのです。これらの文書では畸型の原因が探求されることはほとんどありませんでした。それは自然的原因と関連付けられることは少なく、神の意志のあらわれと解釈されていました。

 しかし宗教改革勃発後の緊張が弛緩するにつれて、畸型は恐るべき神の怒りの現れとして説法を通じて伝えられるものというよりも、面白おかしい驚異として人々の雑談の場で語れれるものへと変質していきます。特に教養層のあいだでは畸型という驚異は実は隠された自然的原因に由来するものであり、それを単純に神の怒りの現れだと解釈するのは民衆の無知・迷信にはまりこむのも同然だという考えが広まりました。こうして畸型は神の怒りから、自律的に活動する自然なるものがまれに行う「遊び」として解釈されるようになります。むしろそうした遊びにこそ、世界の究極的な原因たる神の豊穣さが示される。

 フランシス・ベーコンはこの畸型の世俗化過程の過渡期に位置する人物です。彼によれば自然の逸脱を知れば自然の正常状態についてより正確に記述できるようになります。また逸脱の原因を知ればそれを技術によって再現できることが可能になります。こうして畸型を介して正常な自然と技術が架橋されます。ベーコンは畸型を異兆から切り離し世俗化しようとする一方で、それを独自のカテゴリーとして認め、そこにこそ自然があらわになるという考えは保持していました。

 畸型へのアプローチが決定的に変化するのはパリの科学アカデミーにおいてです。高度の専門性を有する彼らは、スペシャリストとして、とりわけ医学的立場から畸型を取り上げました。アノマリーアノマリーとして研究され集められるのではなく、正常を扱う解剖学と生理学との関連で考察されます。彼らはまた畸型研究が技術革新につながるというベーコンの見通しも共有していませんでした。彼らがむしろ魅せられたのは自然の統一性でした。この考え方はイギリスにも広まります。「生きとし生けるものをなべて統治している、すばらしい統一性に比べれば、畸型はさほど驚くに値しない」(ジェームズ・ブロンデル、1727年)。

 こうして畸型は専門分化した学問の主題となりました。それは地震や噴火といった現象とのつながりも失いました。かつての予兆は解体され、個々の自然科学分野の問題として回収されたのです。こうして自然、脱自然、超自然という三つのカテゴリーのうちの真ん中が消失しました。残ったのは自然と超自然だけです。同時に民衆の伝統と学識者の伝統が交差する場を畸型が提供することもなくなったのです。

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