征服がもたらした善は悪をはるかに凌ぐ とある法学者の正戦論

アリストテレスとアメリカ・インディアン (1974年) (岩波新書)

アリストテレスとアメリカ・インディアン (1974年) (岩波新書)

 ハンケの著作の4章から6章を読みました。スペイン国王に正しき征服のあり方を勧告するための学識者による審議会がバリャドリにて1550年から1551年にかけて2回にわけてそれぞれ1ヶ月間開かれました。暴力を用いることのない布教・改宗活動を唱えていたラス・カサスはそこで手ごわい論敵と対決することになりました。法学者のフワン・ヒネス・デ・セプルベダは、インディオは先天的に劣等であるがゆえに、アリストテレスが言うところの生来的奴隷であるからして、彼らが優れたる民族であるスペインの支配に服そうとしないならば、戦争をしかけて奴隷にすべしと会議の場で主張しました。セプルペダにしてみれば、インディオには「人間性の痕跡すら見出し難い」(73ページ)。先住民は文字を持たず、それゆえ歴史を有さず、成文法を持たず、私有財産を知らない。そればかりか彼らは偶像崇拝者である。

これらのかくも未開にして野蛮、かくも多くの罪に陥りかくも卑猥の風に染まった者たちが、かつてはカトリック王の異名を持つフェルナンド王、そして現在では皇帝カルロスのような、かくも秀でた、敬虔な、真に正しい王によって、またあらゆる美徳を具えた人道的な一国家によって征服されたのは、まことに正義にかなったことだったということを、どうしてわれわれは疑うことができようか。(72ページ)

 スペインの征服が正当であるのは、それによりアメリカが莫大な恩恵を受け取っていることからも立証されるとセプルベダは言います。鉄、穀物資源、家畜資源、文字や書物や法律という文化資源、そしてなによりもキリスト教という唯一の正しい宗教をスペインは先住民にもたらした。こうして有用で文化的で真実にのっとった数々の贈り物を与えることにより成しとげられた善は、それに伴わざるを得なかった悪に比べればとるに足らないというのです。

 劣等民たるインディオに戦争をしかけるのが正当であるとして、その戦争はいかにおこなわれるべきか。この点で彼は当初、戦争の前には改宗のための努力がなされねばならないと考えていました。しかし後年になると見解が変化し、もし慎重に推測した結果、数像崇拝者が頑迷であることが判明すれば、何らの警告もなしにいきなり戦争をしかけてよいと考えるにいたりました。この先制攻撃は友愛的矯正だというのです。彼は恐怖なしに先祖から受け継いできた宗教をインディオが捨てることはないと考えるようになっていました。こうしてしかけられた戦争は正義の戦争なので、戦勝者は敗者を殺してもいいし、奴隷にして財産を奪ってもよい。逆にインディオは劣等であり偶像崇拝者であるがゆえに、スペインにたいしていかなる意味でも正しい戦争をしかけることはできない。それは「犯罪と邪教信仰ゆえ、その絶滅を神が望み給もうた」ユダヤ人がキリスト教徒に正しい戦争を行えないのと同じことだとされます(107ページ)。

 先天的奴隷であるインディオには、キリスト教に改宗させる準備段階として戦争をしかけねばならない。これがセプルベダの結論でした。セプルベダがアメリカを訪れたことはありません。