世界の小罪化と古代世界の終焉 ブラウン「栄光につつまれた死」

古代から中世へ (YAMAKAWA LECTURES)

古代から中世へ (YAMAKAWA LECTURES)

  • ピーター・ブラウン『古代から中世へ』後藤篤子編訳、山川出版社、2006年、95–133ページ。

 ピーター・ブラウンの講演集から「栄光につつまれた死 5–7世紀における死と死後の世界」と題された章を読みました。死と死後の世界についての考え方の変化から、古代末期のキリスト教から中世初期のキリスト教への移行を抽出しようという試みです。5, 6世紀には死後の世界はこの世界と近い場所にありました。それは物理的にもこの世のなかのどこかにあるとかこの世に近接している星辰界の方にあると考えられていました。そこへの移行も死んだら魂がそこへ運ばれるのだろうとされていました。

 6世紀の末頃からこの考え方が変化しはじめます。死後の世界への移行は単なる移動ではなく、おびただしい数のダイモーンたちに脅かされながらの長き旅のすえになしとげられるものとされるようになりました。この変化はトゥールのグレゴリウスが過去の聖人伝に加えた解釈にみてとることができます。ある罪を犯したものが死んだとき、墓から炎が一筋立ち昇ったという言い伝えがありました。もともとこれは単に罪人が消滅し、忘却という罪に処せられたことを意味しただけでした。しかしグレゴリウスはこう解釈します。

それはその男の魂が、見えざる世界で苦しみを示していた。彼の肉体でさえも、人々の目の前で炎が舐めつくしたのであるから。

グレゴリウスにとって墓から立ち昇った炎は、あの世で下されている罰の徴(しるし)でした。こうすることで彼はこの世における処罰というところから、焦点を死後の運命へと移行させたのです。この点で彼は死の時に偉大な神秘をみる東地中海世界の著述家たちと共通の感性を備えていました。しかし同時にグレゴリオスは想像力を死後の運命に向けようとしていた点で、東方の同胞と異っていました。クレタアンドレアスは「肉体から離れたあとの魂の状態を詮索するではない」と言っています。彼のような東方の著述家にとっては死の時こそが特権的な瞬間でした。対してグレゴリオスにとって死後の世界の運命というのは徐々に人間に開示されつつあるものであり、そこにこそ彼は想像力を向けたのです。イタリアがランゴバルド族に攻撃されて以降に西方に生きた彼にとっては、最後の審判は目に見えて近づいており、それにともないあの世の光景が見えるようになりつつあったのです。

 聖人にまつわる死と死後の運命の物語りは主に聖人の卓越性を保証するために生み出されていました。危機的な状況にさらされた共同体にとって聖人が死後も見守ってくれていると考えることが、共同体の連続性を保証してくれるものでした。しかし大部分の人間にとっては死後には死者の魂を手に入れようというダイモーンたちが待ち構える厳しい道のりが待っていました。そこで各人は自らが生前に犯した罪を問われるのです。このあの世への険しい旅路という考えが広まる背景には、新たで多様な贖罪の形態が広まったということがあります。この変化はいつ起こったのでしょう。

 それはアウグスティヌスが罪について新たな考え方を提示したときにはじまりました。アウグスティヌスによれば、大罪とその公的な贖いという儀式にキリスト者は関心を集中させるべきではない。神の目から見て人間の弱さが犯してしまうようなさまざまな罪に関心を向けねばならないし、それらの罪もまた大罪と同じく浄化されねばならない。この考え方は、人間の全人格をそれが犯した様々な罪から構成されたものとしてみることをうながしました(世界の「小罪化(peccatization))。この世では浄化され切らない大小の罪によって特徴づけられた各人が、死後もその罪に応じた運命を担うことになるというわけです。死後には単なる別の生があるのではなく、むしろ各人が犯した罪に応じた贖いのための運命が待ち受けている。こうしてこの世であれあの世であれすべての生が罪とその贖いというキリスト教的観念のものとで統合的にとらえられるようになりました。同時に死者の魂の特徴がその罪になったとき、死後の生を全面に押し出す宇宙論の伝統は消滅しました。死後の魂が星辰界に運ばれるという宇宙の光景への関心は、告解室で語られるような個人の罪とその赦しの方法への関心にとって代わられました。ここに古代的世界が終焉したのです。