中世の動物裁判

動物裁判 (講談社現代新書)

動物裁判 (講談社現代新書)

 12世紀から18世紀の西欧では、裁判の被告に動物が立つという事態がしばしば見受けられました。この動物裁判なる営みを考察した書物から、具体的な事例を紹介した前半部を読みました。フランスを中心にひらかれた動物裁判では、豚を筆頭に牛、ロバ、犬、猫、ネズミ、果ては昆虫までもが罪を犯したかどで裁判にかけられました。このころの豚は気性があらく、人を殺傷することがしばしばあったらしく、豚の裁判は多く記録に残っており、それゆえ本書でも多くの事例が紹介されています。有罪が確定すると、絞首刑にされたり、破門の刑に処されたりしました。すでにトマス・アクィナスが『神学大全』のなかで「理性分別のない被造物は、罪を犯すことも罰せられることもできないから、それを呪うのは正当ではないのである」(113ページ)と警鐘をならしていたにもかかわらず、動物裁判は14世紀から16世紀にかけて最盛期をむかえ、18世紀まで残存しました。聖俗両方の法廷で行われていた動物裁判の特徴は、それが審理手続から処刑方法にいたるまで人間の被告に対する裁判と同様に行われてた点にあります。動物に問われた罪には、人間を殺傷したことや田畑を荒らしたことのほかに、獣姦の共犯者というものもありました(中世末から増えた)。性的逸脱行為によって処刑される場合は火刑が用いられたため、動物もその相手の人間(多くは男)とともに灰になるなで燃やし尽くされました。「俺は結婚なんて全然したいと思わねえし、情婦でさえいらねえよ。だって俺には(女と違って)維持費もほとんどかからなくて、少なくとも俺に忠実なのが一匹いるからな」とうっかり隣人に漏らしてしまったギョーム・ガルニエは1539年3月14日飼っていた雌犬とともに、生きたまま焼き殺される刑を言い渡されました。獣姦犯を焼くさいには訴訟書類も一緒に燃やされることも多く(あまりに汚らわしい書類なので保管したくなかったからか、あるいは、あまりにおぞましい犯罪の痕跡すら残したくなかったからか)、そのため獣姦事件の記録の残存率は高くありません。