おっぱい派

ピエール・ベール著作集 第4巻 歴史批評辞典 2 E~O

ピエール・ベール著作集 第4巻 歴史批評辞典 2 E~O

  • ピエール・ベール「おっぱい派」『歴史批評辞典 II E–O』野沢協訳、法政大学出版局1984年、734–736ページ。

 おっぱい派とはなにか。ピエール・ベール(1647–1706)によると、おっぱい派は再洗礼派から派生したセクトの一つです。オランダのハールレムで、とある男性の若者が結婚したいと思っている女性のおっぱいに手をつっこむという事件がおこりました。これを知った教会(再洗礼派の教会?)は、おっぱいを触った男をどう処遇するかについて議論を開始します。ある人々はおっぱい触りくらい許してやれと言いました。しかし別の人々は、いやおっぱいを触った罪は破門に値すると言ってききません。こうしておっぱい触りについての議論が白熱した結果、二つの派閥は完全に手を切ってしまいました。このうち若者に寛容な態度を示した方が、「おっぱい派 mammillaires」と命名されることになったのです。

 おっぱい派をめぐる逸話からは、再洗礼派がいかに道徳的に厳格であるかがうかがえるとベールは言います。ヨーロッパにはおっぱいを触ることが日常的出来事と呼べるくらい常態化している国が多くあり、「そういう国ではこの悪習にみんな慣れっこになっており、とりわけ庶民のあいだでは大道でもその情景がざらに見られる…」(734ページ)。だから結婚したいと思う女性のおっぱいを触った男を破門し、またその男を破門しようとしない人々と縁を切った再洗礼派は「キリスト教のどんな道徳家より厳格なのだ」(735ページ)。

 ことのついでにベールはもう一つの宗教がらみのおっぱい話を紹介しています。ラバディという人物はある女信者に瞑想を勧め、彼女がその修業の頂点に達したと思ったときに、そのおっぱいを触りました。おっぱいを触られた女性が怒るとラバディは「黙想すべき神秘に身を入れていなかったことを神様にあやまりなさい。必要な注意をそれに全部向けていたら、胸をどうされても気が付かなかったはずですよ。…あなたが熱心に祈祷をして物質から超え出ているかどうか、不死と霊性の生きた泉である最高存在と合一しているかどうか、私はそれをテストしたかったのですよ…」とかなんとか言ったのだけど、「その娘は徳と良識を兼ねそなえていたから、ラバディの行為に劣らずこの言葉に腹を立て、以後こんな教導者の話など聞きたくもなくなったという」(735ページ)。このおっぱい話の真偽はともかくとして、「深い瞑想は魂を奪い体の動きにも気付かなくさせると約束する、いとも霊的なあの手の信心家の中には、信者の女性に安んじておさわりをすること、さらにはもっとひどいことを狙っている連中もどうやらいるらしいということだけは請け合っておこう」(735ページ)。