接続された東西 根占「ルネサンス世界」

 ルネサンス研究者の著者が来し方を振り返った講演録を読みました。卒論を前にしての高階秀爾ルネッサンスの光と闇』、ヴィント、パノフスキーとの出会い、駒場のザビエル学生寮での生活、鈴木成高の謦咳に接したことなどが語られています。後半では著者が自身のルネサンス観を披瀝します。

実は、私独自のルネサンス観と言ったのは、所謂このキリシタン史と結びついています。最初の頃はこんなことになるとは思っていませんでしたが、キリシタン関係の史料や文献を読むにつれ、これはイタリア・ルネサンスの問題だと思われ始めたのです。その視点から、私は『東西ルネサンスの邂逅―南蛮と禰寝氏の歴史的世界を求めて』という小著を出しました。つまり数あるルネサンスの中で、私たちと結びつく唯一のルネサンスはイタリア・ルネサンスの歴史世界だと感じられ出したのです。人文学的伝統もそもそも私たちの言語とは何の共通性もない、ギリシアラテン語の世界であり、その点ではカロリングも12世紀も、またイタリア・ルネサンスも同根です。でも、最後のルネサンスには日本と関わる同時代的世界性があるのです。遠い時代の、結局は無縁の歴史的現象と思われたものがまったく近しいものとして、熱い関心を持って眺められるようになったのです。(7ページ)

 この世界的同時代性を持つルネサンスという観点が、ザビエルと真言宗の仏僧たちの神(デウス)と大日をめぐる一致とすれ違いという事例から論じられます。ザビエルからすると、仏僧たちが信仰している「大日なるものは、我らの哲学者たちの許で第一質料(マテリア・プリマ)と称するものと同じものである」。しかしそれでも仏僧たちは、ザビエルが語るデウスの性質が大日と酷似しているがゆえに、「言葉の上では、言語や習慣において、互いに異なっているものの、伴天連が認める競技の内容と自分たちのそれは一つであり、同じものだ、と語った」。しかし数日後、三位一体の第二のペルソナが受肉し、人となり、人類救済のために十字架上で死んだということを信じるかと仏僧たちに問うたところ、彼らは否認しました。そこでザビエルは真言宗もやはり悪魔が考案したものだとみなすようになりました。

 質料でも、(もう一つ取り上げられる事例である)霊魂の不滅制の問題でも、ルネサンス哲学における問題が16世紀の日本で取り上げられ議論されていることから、「このルネサンスは中世の他のルネサンスと違い、ヨーロッパだけの問題ではなく、私たちに身近な文化思想運動」であるとされます。それと同時にルネサンスの思想は中世以来のものであり、さらにその背後には古代以来の思想の持続性が控えています。西での伝統を踏まえながら、イタリア・ルネサンスの世界性をとらえる必要があるというわけです。

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東西ルネサンスの邂逅―南蛮と禰寝氏の歴史的世界を求めて (ルネサンス叢書)

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