様式化された情熱 ホイジンガ『中世の秋』

中世の秋〈1〉 (中公クラシックス)

中世の秋〈1〉 (中公クラシックス)

 「世界がまだ若く、五世紀ほどもまえのころには、人生の出来事は、いまよりももっとくっきりとしたかたちをみせていた」(3ページ)。このような書き出しで幕をあける『中世の秋』の最初の2章を読みました。副題は「フランスとネーデルラントにおける14, 15世紀の生活と思考の諸形態についての研究」です。数百年前の「生活と思考の諸形態」を復元するにはどうすればよいか。

年代記の報告があてにならぬといい、証書類を好み、できるだけこれに拠ろうとする、近ごろの科学としての中世史学は、まさにそのような好みゆえに、ときとすると危険なあやまちに陥ることがある。文書は、わたしたちをその時代から分かつ生活の調子のちがいについては、ほとんどなにも教えてはくれない。中世の生活にみなぎっていたはげしい情感の動き(パトス)を、わたしたちに忘れさせてしまう。(17ページ)

近代人は、ふつう、中世の心情の、節度を知らぬ奔放さと激しやすさを、じゅうぶん理解してはいない。ただ文書史料のみにたよるならば、たしかにそれは正しく考究されるかぎり、歴史認識にとってのもっとも信頼のおける資料ではあろうが、しかし、ただそれだけにたよるならば、そこに描かれる中世のこの時期の歴史像は、各省長官や大使の活躍する18世紀の政界についての叙述から受けるイメージと、その本質においてなんら変わらないものになってしまう。これには、重要な一要素が欠けている。民衆に、そして君侯たちに生命を吹きこんだ激しい情熱の鮮明ないろどりが欠けている。(28ページ)

 そこでホイジンガ年代記の記述から、当時の人々のパトス、情念、心情を読みとろうと試みます。たち現れてくる特徴は二つあります。一つは当時の人々の心の動きは非常に振れ幅が大きいということ。もうひとつはその心情が様式化されて表出されるということです。実際、祭列、処刑、説教、葬儀といった機会に示される感情はきわめて激烈なものでした。党派同士の争いの原因も、経済的問題だけに還元することはできず、そこには心情、とりわけ忠誠と復讐という心情が争いを駆動するという構図が見られます。史料が語るのは生活についての暗いイメージばかりです。人々は「人生に対し、時代に対して中傷を積みかさねることを好んでいた」(65ページ)。もっと美しい世界はないのかと考えた君侯たちは、現実の生活を理想で塗り固める道を選びます。「後期中世の貴族の生活は、…すべてこれ、夢を演じようとする努力であった」(83ページ)。生活そのものを美にしようとする試みは、ルネサンスにはじまったわけではありません。それは中世の遺産です。むしろ時代が変わるのは、生活と芸術が切り離されはじめるときにあります。この切り離しが起こっていないときにこそ、諸々の様式が織り合わされた宮廷作法が発達したのです。

 ギョッとするような事例を次々と持ち出してくるので、実物を読まねばこの本の魅力は分らないと思います。印象的な記述を一つだけ。

中世後期の市民たちは、重税をかけられ、しかも、その用途については発言を封じられていたので、かれらの出した金が浪費されているのではないか、国の利益になるように使われていないのではないかと、たえず不信の念をいだいていた。この国政への不信は、まことに単純なかたちで表明されている。王は貪欲でずるがしこい補佐官どもにとりまかれているとか、国がよく治まらないのは宮廷がぜいたくをし、浪費しているからだとか。このように、民衆のみるところ、政治上の問題は、物語の領域に還元されるのである。(20ページ)