感覚から読むシェイクスピア 藤澤「『ソネット集』における嗅覚」

 感性の歴史の研究は英文学研究にも持ち込まれ豊かな成果をあげています。この視角をシェイクスピアソネット集』(1609年出版)の解釈に援用しようとする論考を読みました。五感のうちでもとりわけ嗅覚に焦点が当てられています。初期近代のイギリスでは嗅覚とは味覚・触覚という肉体世界と、視覚・聴覚という空間的世界を仲介する中間的な感覚とみなされていました(ギヴィジェ)。同時に視覚は感覚するものを欺くのではないかという懐疑にさらされていました(クラーク)。このような歴史的背景と突き合わせることで、『ソネット集』の五感表現を読み解くことができます。詩人は若者の視覚的美しさを賛美するものの、視覚だけでは彼の心は窺えないと落胆します(視覚への懐疑)。これに対して若者と臭いの結びつきにはこのような不安が入り込むことはありません。むしろ若者はすべての芳香の理想であり、悪臭を放つ「いやしい雑草」のような人々と交わるべきではない高貴な百合にたとえられます。嗅覚への言及は時との戦いという『ソネット集』の一大テーマとも深く関係します。バラは死してなお香水となることでその美しい香りを自らの精髄として残します。それと同じく詩人が若者を歌うことにより高貴で美しい若者の精髄(truth)を「蒸留」し、それを時の試練に耐えうる永遠のものとするというのです。一方、若者と並んで『ソネット集』が捧げられている対象である黒い女が、香りの観点から礼賛されることはありません。むしろ黒い女は肉体への直接的接触への欲求を駆り立てる人物として描かれています。詩人はこの欲求に嫌悪感をおぼえながらも、それにとらわれています。以上から分かるように、若者は視覚という空間的で高級な感覚を介した魅力を与え、黒い女は触覚という肉体的で嫌悪感をもよおさせる低級な感覚を介した魅力を持ちます。これらの感覚の中間にある嗅覚は、嫌悪感を喚起する黒い女とは無縁でありながら、さりとてその真実性に疑義がはさまれる視覚とも異なり、若者の精髄を直感的に永遠に切り出すものとして詩人からの信頼を勝ち得ているのです。感覚論にある対比的な構造を、詩で描かれる人物像の対比と重ねるという構想が秀逸です。

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