トピックセンテンスの書き方の一例 ベッカー『ベッカー先生の論文教室』

ベッカー先生の論文教室

ベッカー先生の論文教室

  • ハワード・S・ベッカー『ベッカー先生の論文教室』小川芳範、慶応義塾大学出版会、2012年。

何かを言おうとして「正しい方法」が見つからないときには、なぜ見つけることができないかについて語ってみよう。(93ページ)

 段落の頭(付近)の文章はそこで論じたいことを可能なかぎり直接的に表現したものでなければなりません。しかしそれをひねり出すことは決して容易ではないので、しばしば曖昧な表現に逃げたり、筆が止まってしまうということが起こります。これを避けるために、ベッカー『ベッカー先生の論文教室』に書かれている技法を流用して、とにかく頭に浮かぶことをすべて書き出しながら文章を練るということを最近はしています。やってみるとこれはかなりうまく行きます。ポイントは「これではだめ」とか「もっとストレートに」とかそういうこともとにかく書くことです。人間は頭のなかだけでは息の長い思考ができないので、こういうふうに思考を順に書きだしていかないとすぐに思考が途切れます。すると考えが振り出しにもどって、頭のなかで思考の堂々巡りが起こります。これを避けるために思考の流れをすべて書き出して強制的に考えを前に進めるのです。

 というわけで以下はこの技法を使った痕跡です。

しかしスカリゲルを非難する前に、問題のパッセージが現れた文脈を精査せねばならない。いやこの書き方はストレートではない。もっと直接的に問題を導入したい。彼の書いていることをすべて額面通り受け取っていいかを判断せねばならない。これも回りくどい。やっぱりargumentative contextが批判を失効させていると書かねばならない。しかしこのような批判はこの文章のargumentative contextを十分考慮していないものである。これはかなりクリアーになった気がする。考慮していないは曖昧だから変えたい。Take into considerationはだめ。Argumentative contextをあまりにたやすく無視しすぎている。Too dismissive。まだあいまいか。Neglectしているとはっきり書くか。Neglectしてtherefore pointを取り逃がしている。Miss its point. これはかなりいい気がする。Their criticism , I argue, neglects the argumentative role of this passage, and therefore misses its point. Misses its pointがぼやけている。Argumentative roleもおかしいか。There criticism, I argue, neglects the argumentative context that has led Scaliger to introduce this passage, and therefore misses its central message. The criticism of Freitag and Glisson, I argue, neglects the argumentative context that introduces this passage, and therefore misses its central message. Fail to grasp? The criticism of Freitag and Glisson, I argue, neglects the argumentative context that introduces this passage, and therefore fails to grasp its central message.