道徳的天と自然的天の分離 伊東「アリストテレスと日本」

またこのようにアリストテレスを西欧の独占からきり離して、世界の各文化圏との接触のうちにおいてみることは、この地上最初の壮大な合理的世界観であるアリストテレスの知的「挑戦」に対して、各文明圏がいかに「応戦」するかを比較する視点を与え、いわばアリストテレスをリトマス紙とする「比較文明論」の可能性が得られるであろう。(169ページ)

このような見通しの上にたって、アリストテレス天文学体系が日本でいかに受容されたかを『乾坤弁説』という著作を通して考察する論考です。基本的には『乾坤弁説』を編述した沢野忠庵クリストファン・フェレイラ)が、編集の際の主要ソースとしてペドロ・ゴメスの『天球論』を使っていたことの論証が論文の大半をしめます。より規模の大きい考察は結論においてなされています。自然の法則と人倫の法則が一体化し、それだけでなく前者が後者に従属していた中国宋学の理にたいして、『乾坤弁説』に代表される西洋の天文学世界観は両者を切り離して、自然の自律的法則を認めていました。『乾坤弁説』に序文を寄せた儒学者によってまさに批判の対象となったこの点こそが、後の西川如見のような道徳的な天の学と自然学的なそれを区別する開明的思想家が現れます。日本古学派が同時期に道徳界を自然界から分離しようとしていることは、彼らが西川如見と同じ雰囲気のうちにいたことを示しています。こうやって整備された科学的実証主義がのちの蘭学を準備することになるのです。