イスラム世界と西洋中世における自然哲学観の違い グラント『中世における科学の基礎づけ』

中世における科学の基礎づけ

中世における科学の基礎づけ

  • E・グラント『中世における科学の基礎づけ その宗教的、制度的、知的背景』小林剛訳、知泉書館、2007年、277–301ページ。

 イスラム世界では1500年にいたるまで高い水準で精密科学と医学を発達させることができたのに、その後に西洋が初期近代に経験した科学革命を起こすことはできませんでした。逆に西洋世界は精密科学や医学や医学の水準ではイスラム世界にはるかに劣っていたのに、科学革命を経験しました。なぜでしょう?この問いにたいして著者は、イスラム世界が自然哲学抜きの精密科学と医学を促進したのにたいして、西洋は精密科学と医学の水準はたとえ低くとも自然哲学において高い水準に到達したことが、科学革命の有無を決したととらえます。イスラム世界ではアリストテレスに代表される自然哲学(及びそもそも哲学全般)は外来の学問と分類され、宗教家(法学者)によって警戒されていました。これは神学者にとっても世俗的な学問を学ぶことが当然とされていた西洋とおおきく異なります。この違いはどこから来たのか?著者が立てる一つの仮説は、キリスト教イスラム教の伝播速度の差に求められます。キリスト教パウロが宣教に乗り出してから350年ほど経ってようやくローマ世界の国教となりました。このあいだキリスト教は武力によらず、その教えを広めねばならず、そのためには伝統的な異教の哲学・学問に順応擦る必要がありました。これにたいしてイスラム教は短期間のうちに、国家による征服にあわせて広まりました。したがってイスラム教はキリスト教が経験したような期間と度合いにおいて、異教の伝統に順応する機会を持たなかったことになります。これがイスラム世界がギリシアの学問を外来の学問とみなし続け、宗教的に警戒し続けたことの理由となります。ここから大学のような永続的な学問の支援機関をイスラム世界はつくりだすことに失敗し、自然哲学の発達を促進することができず、それゆえ科学革命とは無縁にとどまったというわけです。

 ビザンチンビザンツ)帝国においてどうして科学史・自然哲学史上みるべき達成がなかったのかという問いも著者は立てています。これにたいする答えは「ビザンチンの学者たちは自己満足的学問とお世辞に終始し、自然哲学の問題を解決したいという望みはほとんど持っていなかったようである」(299ページ)というものです。これはあまりに精度の低い認識でそのまま採ることはできません。とはいえ著者がいうキリスト教イスラム教の伝播速度の違いが、哲学伝統の内部浸透度合いの差を生み出したという説は考慮に価する仮説であるように思えます。