中世後期社会における反同性愛 ボズウェル『キリスト教と同性愛』第10章

キリスト教と同性愛―1~14世紀西欧のゲイ・ピープル

キリスト教と同性愛―1~14世紀西欧のゲイ・ピープル

  • ジョン・ボズウェル『キリスト教と同性愛 1〜14世紀西欧のゲイ・ピープル』大越愛子、下田立行訳、国文社、1990年、274–304ページ。

 同性愛観の歴史を扱う基本書から、中世後期に起きた変動を扱う第10章を読みました。ヨーロッパ社会における寛容さの度合いは、12世紀後半から14世紀にかけて低下したと考えられています。その原因を特定することは困難であるものの、いくつか明らかに低下に寄与した事象を挙げることができます。新たな専制的世俗国家の台頭は、政治的に地域を統合し、それらの地域を法制の整備によって均一化するという動きをもたらしました。この均一化が目立つ特質を持った集団の自由を失わせはじめたと考えられます。また十字軍運動はヨーロッパ内部での外国人恐怖症を引き起こしました。

 異質な集団への敵対心が強まることにより、ユダヤ人、異端者、高利貸し、同性愛者といった人びとが攻撃の対象となります。同性愛者(著者はゲイ・ピープルと呼ぶ)は、外部の敵であるイスラム教と内部の敵である異端と結びつけられることで非難されました。異端が同性愛にたいして寛容な姿勢をもっていた可能性は理屈としては考えられます。しかし正統多数派による「異端者が同性愛行為を積極的に行なっている」という非難は、彼らの偏見からくるつくりごとであったと考えられます(そもそも異端は性的に禁欲主義であることが多い)。

 法律編纂物のうちにおいて、1250年から1300年にかけて同性愛行為は死罪に値する罪であると規定されるようになりました。たとえばユダヤ人がイングランドから追放された時期に同地で制定された法律は、動物ないしは同性の人と性行為を行った者は生き埋めの刑に処すると規定しています。オルレアンの法律学派がだした法典には、めずらしいことに女性の同性愛についての明確な規定がありました。1、2回の性行為であれば手足の切断、3回目に火刑に処せられるべきとあります。

 これらの同性愛者への処罰規定がどの程度実施されたかというと、それほど実行にはうつされなかったと考えられます。しかしそれでも1150年から1350年までのあいだに、それまではとりたてて問題視されていなかった同性愛行為が、自然に反する許されざる営みだととらえられるようになったのは確かでした。同性愛を扱った文学はほぼ消滅し、同性愛行為を行った人物がたとえば聖職に叙階されることも不可能となります。同性愛行為の咎は政治的に敵対者を攻撃するときにまっさきに挙げられるようになります。この態度の変化が13世紀の法律、神学、文学の領域での反同性愛表現をもたらすことになります。