科学史の「ギリシア好き」 Pingree, "Hellenophilia versus the History of Science"

 20世紀を代表する天文学占星術史研究者であるピングリーが科学史研究に見られる観点の偏りを批判した論文です。

 多くの科学史家が共有している態度に「ギリシア好き」があります。ギリシア人が科学を発明した。ギリシア人が真理にいたるための正しい方法を発見した。ギリシアではじまったものだけが真の科学の名に値する。ギリシアでその基礎が置かれ、現代の科学者たちによって実践されている科学のみが科学として認められる。このような考え方は西洋の研究者が前提としているのみならず、非西洋の科学史家にも認められています。彼らがインド、中国、アラビア、アフリカの科学の最大の栄光とみなすのは、そこで実践されていた科学ギリシアや現代の科学に近づいたか、それを先取りしていたときです。

 しかしこのような考え方は歴史家が扱う題材の範囲を狭めてしまうばかりか、科学(西洋のものも非西洋のものも)の歴史の理解をゆがめてしまいます。たとえば天文学の歴史を考えるならば、星に前兆を読みとろうとすることはメソポタで紀元前2000年以後に起き、紀元前1200年ごろに数学的天文学への発展がはじまり、ようやく紀元前500年ごろにある程度以上の精確さで天の現象を予想できる数学的モデルをバビロニア人が考案しはじめました。このモデルがエジプト、ギリシア、インド、そしておそらく中国に伝播したと考えられます。このような現象を前に、ギリシアに由来する科学のみを科学とみなしてしまえば、メソポタミアバビロニアやインドの天文学を無視してしまうことになります。それはまたメソポタミアバビロニア天文学があってはじめて成立したところのギリシア天文学の理解をもゆがめるのです。

 科学史家にとっての科学とは、知覚されたものであれ想像上の現象であれ、それらについての体系的な説明として定義されるべきです。たしかにこれは正しい科学と偽の科学との区別をすることができない定義です。しかしこの点で科学史家は相対主義者である必要があります。(古代ギリシアの知識観に範をとった)現代の基準から、研究対象を限定することは(繰り返しになりますが)過去についての私たちの理解を不十分で歪曲されたものにしてしまうからです。むしろ科学史家はある体系的な説明がある文化のなかでいかに機能していたかを理解して、それらの説明が異なる文明間でどう移動し、どう移動先の文化に適応したかを明らかにしていくことにつとめなければなりません。