デカルト主義とニュートン主義 ディア『知識と経験と革命』第8章

知識と経験の革命―― 科学革命の現場で何が起こったか

知識と経験の革命―― 科学革命の現場で何が起こったか

  • ピーター・ディア『知識と経験と革命 科学革命の現場で何が起こったか』高橋憲一訳、みすず書房、2012年、261–295ページ。

 本編の最終章にあたる第8章は、17世紀後半から18世紀初頭にいたる自然哲学の展開を、「デカルト主義」と「ニュートン主義」という2つの潮流に着目して論じるものだ。一口にデカルト主義者といっても、それぞれの論者の考えはデカルト本人のものとも、また論者相互のあいだで異なっていた。たとえばホイヘンスデカルトが疑いえないものとした原理の仮説的性格を強調した。ホイヘンスによれば、たしかに不活性な物質とその運動以外の原理からなされる自然世界についての説明を人間は理解できない。しかし人間側の理解可能性から世界の実在構造を規定することはできない。人間に理解不可能な仕方で神が世界を設計した可能性は常に残る。この他にもデカルト主義者のうちには、レジスのように体系性を志向する者、マールブランシュのようにデカルト哲学の神学的正当性を確立することに関心をよせる者、はたまたサロンのうちでデカルトの思想を論じた女性たちがいた。

 デカルトと対照的にニュートンは引力を物体間の直接的接触から説明しようとせず、その力の原因を明らかにしなかった。この点がホイヘンスライプニッツをはじめとする論者に批判される。力の作用を要請するだけでなく、その力が物質の運動からいかに引き起こされるかを明らかにしなければ、理論は真の自然学の名に値しないというのだ。このような批判に対してニュートンの支持者たちによる反論が行われた。支持者たちというのは、たとえばニュートンが王立協会会長となってから(1703年)、その支配を通じて支持を取りつけた会員たちであった(「ニュートンは権柄ずくの協会会長として制度的な権力を注意深く蓄えており…」[292ページ])。ただしこのように組織化されたニュートン主義からは、ニュートンが心血を注いだ聖書と錬金術研究の要素は抜き取られていた。彼の合理的経験論とみなされた側面が強調されたのだ(ロックの哲学との合流点)。またそもそもニュートンの考えのうちにはデカルトに依拠する点があり、同じことがニュートン主義についてもいえる。ニュートン主義もデカルト主義と同じく雑多で、さまざまな思想の混合であった。