信頼できて信頼できない科学 Shapin, "Science and the Modern World"

Never Pure: Historical Studies of Science as if It Was Produced by People with Bodies, Situated in Time, Space, Culture, and Society, and Struggling for Credibility and Authority

Never Pure: Historical Studies of Science as if It Was Produced by People with Bodies, Situated in Time, Space, Culture, and Society, and Struggling for Credibility and Authority

  • Steven Shapin, "Science and the Modern World," in Never Pure: Historical Studies of Science as if It was Produced by People with Bodies, Situated in Time, Space, Culture, and Society, and Struggling for Credibility and Authority (Baltimore: Johns Hopkins University Press, 2010), 377–91.

 シェイピンの論文集から「科学と現代社会」と題された論考を読む。科学こそ現代社会を特徴づけるという信念の共有と、現代社会における科学(者)の立ち位置からを突きあわせることで、私たちが直面している困難な状況を明るみにだそうとしているように読めた(が実のところなにが言いたいのかそれほど明確ではない)。

 まず著者は現代社会を特徴付け、形作っているのは科学であるという考えが広く支持されていることを、多様な論者からの引用によって確認する。そこからこのように科学に非常に強い権威が認められていることが現代社会の特徴であると論を進める。しかしだからといって私たちは科学的な世界に生きているのかといえばそうではない。科学研究の結果支持されていない信念を抱いている人は、科学者でない人のあいだにもいるし、科学者のあいだにすら多くいる。また科学的方法論への信頼が科学の権威の根底にあるわけでもなさそうだ(科学的方法論を特定するのは困難だし、科学者の仕事の多くは哲学者が行うような方法論的な考察とは独立に行われている)。とすると科学の権威はどこにあるのか?

 ここで著者は議論を転調させる。科学が現代社会において権威があるという事態の核心は、社会の構成員が科学についての理解を持っているからくるのではなく、むしろ彼らが特定の問題を解決するに当たり、科学者に権威として助言を求めることにあるというのだ。だがここにいくつかの困難がある。まずそもそも科学の役目は自然界に関する知識を提供することであり、何を政策として採用すべきかを決定するのは科学者の仕事ではないという考えがある。するとさまざまな問題がますます専門的で科学的な知見とからみあうにいたっているにもかかわらず、その問題について一番知っている専門家に問題に対処するにあたって何をすべきかを問いかけることが困難というジレンマが生じる。また近年の傾向として、科学はますます利益生産や権力維持・強化を目指す組織のうちに組み込まれることになっており、およそ科学者の自律性を論じることが困難となってきている(科学者が技術者に近づいてきているとされる)。

 科学者の権威の源泉となるはずの専門家としての自律性と判断能力の保持への信頼がゆらぐ社会のうちにいま私たちはいる。科学が享受している権威と、科学者の置かれた状況のあいだにある矛盾を目の当たりにするとき、私たちは現代社会における科学の位置の問題というのは、じつは私たちが何を信じ、誰を信頼し、何をすべきかという問題と不可分だと理解するのである。