広域的ルネサンス論 ブロトン『はじめてわかる ルネサンス』#2

はじめてわかる ルネサンス (ちくま学芸文庫)

はじめてわかる ルネサンス (ちくま学芸文庫)

 ルネサンスをイタリアやヨーロッパだけでなく、より広い地理的範囲にまたがる事象としてとらえるという姿勢は、第4章「素晴らしき新世界」でもいかんなく発揮されている。もちろんヨーロッパが航海によってこれまで未知であった土地を発見していくわけだから、記述が世界規模になるのは当然ではある。しかし著者はそこに目新しい力点の置き方を加える。単にヨーロッパが拡張を記述するだけでなく、その過程でヨーロッパ外の人々がなしとげた寄与を最大限記述しようとするのだ。たとえばポルトガル喜望峰にたどりつき、さらにそこからインドへと向かうにあたっては、ユダヤ人とアラビア人から天文・航海知識を提供してもらうことが不可欠であったとされる。ルネサンスを特徴づける地図製作を記述するさいには、オスマン帝国海軍提督ピリ・レイスによる世界地図をとりあげ、そこから「イスラム教徒、ヒンドゥー教徒キリスト教徒たちはみな、政治的、商業的な主導権獲得を目指して、頻繁に情報と思想のやりとりを行っていた」(176ページ)ことがみてとれるとする。もちろんヨーロッパが行った奴隷貿易、鉱山・農園経営、疫病の持ち込みが無視されるわけではない。しかしそれでも記述の力点が一方的な拡張から、世界規模での相互交流へと移っていることはたしかだ。

 ルネサンス文学を記述する第6章でも同じように、世界規模でのルネサンスに焦点があてられる。アリオスト『狂えるオルランド』、カモンイス『ウズ・ルジアダス』、スペンサー『妖精の女王』、シェイクスピア『オセロー』『テンペスト』といった地理的な拡張や交流や対立をえがいた作品がとりあげられている。宗教を論じた第3章でも宗教改革オスマン帝国をふくめた国際情勢という文脈に照らして論じられる。ルターたちがハプスブルクに対抗するためにオスマン帝国との同盟を考えていたという記述に驚かされる読者も多いだろう。

 広い視野からルネサンスをみることにこだわってルネサンスを記述する本書は、これまでの概説書にはないルネサンス像を提示してくれる。ただしそのぶん伝統的な主題の記述がやや弱くなっている。たとえばかつてのルネサンス論の花形であった芸術分野の扱いは小さい。また第5章「科学と哲学」の記述は通り一遍のものにとどまっており、最新のヒストリオグラフィを反映しているとはいいがたい(トゥースィーとコペルニクスというトピックが触れられてはいるものの)。とはいえこれらの主題については、すでに日本語ですぐれた概説書が幾冊も手にはいる。そちらを当たればいいだろう。むしろ歴史学の現在を十分に反映したルネサンス論として、本書が広く読まれることを望むものである。