諸学の共通言語を求めて ブローデル「長期持続」

歴史学の野心 (ブローデル歴史集成)

歴史学の野心 (ブローデル歴史集成)

 ブローデルが提出した「長期持続」という概念はさまざまな研究者が好んで使っている。あまりに使われすぎていて、「長い時間スパン」という程度の意味しか担っておらず、特殊概念としてフランス語で書きしるす意味があるのか疑問を持たせるような使用例も散見されるほどだ。というわけでいちど初心にかえってこの有名概念を主題とした論文を読みかえす。

 おおくの人が忘れてしまっていると思われるのは、ブローデルが「長期持続」という概念を彼が考える人文社会諸学全体の危機への処方箋として提示したということである。その危機とは多様な人文社会諸学が成果を生みだしているなか、それらを集積し統合し、さらなる共同研究を行う必要があるというのに、そのような共同探求にのりだす基盤がまったく整備されていないということであった。人文学の諸分野を互いに近づけようとする試みは、アメリカではエリア・スタディーズ(地域研究)というかたちで行われてきた。しかしブローデルの診断によれば、そこでは地理学にも歴史学にもしかるべき地位が与えられていない。

 ではどうするかとなったときにブローデルが持ちだすのが「複数の社会的時間」という観念である。複数というからにはいくつかあり、具体的には三つにわかれる。一つはきわめて短い時間で完結する出来事の持続だ。二つ目は数十年の尺度でとらえることができる変動局面の持続である。これにはたとえば、政治史から脱し社会経済史へ偏重するようになった歴史学が、経済的な指標をもちいてみいだすようになった周期が該当する。最後の三番目が長期持続である。これは数世紀単位で人間の行動や考え方を規制する現実だ。たとえば人間集団をとりかこむ地理的条件(「文明の地理的な枠組みは、驚くほど不変なのだ」)、欧州の文学を規定してきたラテン文学の伝統、科学史におけるアリストテレス主義などが長期持続となる。

 これら三つの持続のうち長期持続のみが論文の表題となっているものの、じつはブローデルは出来事の持続以外の二つの持続の両方が、さまざまな人文学社会学に共通のプラットフォームとなることを期待している(と思う)。これは現在の諸学で持続への着目があることを意味しない。むしろ逆だ。たとえば社会学者はがいして現在の出来事に集中している。現在を構成するさくそうした要素のうちに、より長い持続のうちで生起している現実があることに頓着しない。むしろ社会学者たちは出来事から離れるやいなや、時間を超越して繰りかえされる法則的現実の抽出へと向かってしまう。このような社会学の現状にたいし、歴史学は変動局面レベルの持続、長期持続レベルの持続を考慮してはじめて現在の出来事も理解できることをしめすことができるだろう。最終的には諸学(歴史学も含まれる)が周期変動や長期持続の枠組みでとらえられる社会的現実を探求し、それらの枠組みのうちで知見を統合化することが期待される。この持続に着目した共同探求の試みの方が、諸学がおのれの自己定義をさがし求めつづける現状より生産的であろうとブローデルは考えている。これが「われわれは、自分の専門に関わらないことがらに関して、明らかな危険にさらされている」現状へブローデルが示してみせた可能性であった。