再現される錬金術 錬金術の黄金時代 実践篇 Principe, The Secrets of Alchemy, ch. 6

The Secrets of Alchemy (Synthesis) (English Edition)

The Secrets of Alchemy (Synthesis) (English Edition)

  • Lawrence Principe, The Secrets of Alchemy (Chicago: University of Chicago Press, 2012), 137–71.

 錬金術の黄金時代が初期近代にあるとして、ではその時代に錬金術師たちは何をしていたのか?これまで錬金術師たちが実際に実験室でいかなる作業を行っていたかは大きな関心をひいてこなかった。理由の一つは卑金属を用いての金の製造は不可能であると現在判明しているため、それを行おうとする彼らの営みを真剣に考慮する意欲が持たれてこなかったことにある。もう一つは錬金術師たちが故意に使っている曖昧な言葉遣いが、そもそも不可能な営みを可能に見せかけるための詐術とみられ真剣に受けとめられなかったり、その象徴的な言葉使いを化学実験とは別の霊的な次元のことがらを指し示すものと受け取り、そこに非歴史的な解釈を与えていくことが行われてきたからである。これに対して著者は錬金術師たちが記述しているときに象徴的な記述を、実際の化学実験手順を記述したものと受けとってそれを解読したうえで、実験を行ってみた。現役の化学教授である著者の面目躍如である。するとなにが分かったか?いくつかあげられている事例のうちの一つを紹介しよう(ただしここでは象徴的表現の解読は行われていない)

 Basil Valentineの名で伝わる著作のうちに、有毒のアンチモンから毒素をとりのぞいていくことで治療効果のある「アンチモンの硫黄」をつくる記述がある(有毒物から医薬をつくるというのはパラケルススの教えにならっている)。次のようなことをしろという。輝安鉱を熱する。灰ができる。これを固形化して「アンチモンのガラス」をつくる。これにヴィネガーをくわえるとヴィネガーが赤くなる。この赤くなった液体を蒸発させ、残ったゴムのような物質にアルコールをくわえると、さらに不純物が除去され「アンチモンの硫黄」が集中つされる。これはなんなのだろう。そもそも物質から毒素を単純に「とりのぞく」ことなどできないのではないか。これは単なる空想なのだろうか。確かめるためには実験をするしかない。

 まず輝安鉱を熱して灰にして、それを固形化してみる。するとガラスのようなものが…できない。何度実験してもできない。なにがおかしいのか。さまざまな手をつくしたのちに、著者は東欧から採られた輝安鉱を使って同じ作業をしてみた(「ハンガリーアンチモンを使った」とValentineは言っていた)。するとまったく同じ作業から、ガラスのような透き通った黄色の物体ができた。なぜか。それは東欧からもたらされた輝安鉱にわずかに石英が含まれていたからであった。じつに「ハンガリーの」というValentineの指示を忠実に守れば、彼が実際に行った実験を忠実に報告していたことが分かるのだった。

 ではこのガラスのような固形物から、ヴィネガーを使って赤い液体をつくって…これもできない。いつまでたってもヴィネガーは赤くならない。ここでValentineの記述をよく読むと、彼はアンチモンを操作するのに鉄のフックや杖を使っていたと書いてある。これが鍵をにぎるのだ。操作の過程でアンチモンのうちに鉄が入る。アンチモンは鉄をすばやく腐食させる。ヴィネガーを赤くしていたのはこの腐食した鉄の成分であった。さらに後の過程では、ヴィネガーに残っていたアンチモンが除去される。すると最後に残るのは結局鉄の成分だけとなる。Valentineの言う「アンチモンの硫黄」とは、じつはアンチモンとはまったく関係のない。それは彼が使っていた鉄のフックからやってきた鉄であった。これが毒素を含んでいないのは当然である。

 こうして当時の実験を忠実に再現してみると、当時の錬金術書のうちにたしかに実際の実験結果を忠実に報告した例があることがわかる。たしかにそこで起きていることについて著者たちが与えている説明は間違いである(アンチモンの硫黄はアンチモンではまったくない)。しかし彼らの観察はじつに正確なものであった。かつての錬金術書にある記述を迷信としてしりぞけたり、ユングらによる非歴史的な解釈を読みこむのではなく、現代の化学を鍵として過去を復元することを私たちは試みなければならないのだ。