場所の実践としてのフィールド・サイエンス Kohler, "Place and Practice in Field Biology"

 科学史研究において科学知識が生みだされる場所を研究するさいのモデルを提供したのは実験室であった。そこから研究対象が博物館や修道院、果てはパブまで拡張したにもかかわらず、とりのこされている重要な場所がある。それはそこで科学が実践される自然における場所、つまりフィールドのことだ。この論文はシェイピンらが初期近代のイングランドを舞台に実験室を分析みせたのと同様のことを、19世紀末から20世紀前半にかけてのアメリカの生態学、進化生物学におけるフィールドワークを対象に行おうとする。かつて実験室での知識生産に信頼性を持たせるためにどのような技法が編みだされたのかがあきらかにされたように、フィールドでの知識生産に信頼性を持たせるためになにが重要視されたかを見極めようというのだ。

 まずなぜ19世紀後半から20世紀前半が分析の対象となるのか。それは19世紀半ばに生物学の領域で起きた「実験室革命」が、生物学が実践される場所をめぐる力学を大きく変えてしまったからである。生物学における実験的手法が確立してくるにしたがって、その主導者たちは実験室こそが自然があきらかとなる唯一の場所であると主張しはじめた。実験室で手順にしたがえばかならず同じ結果が再現されることが確認されることではじめて、知識は普遍的・客観的となる。どこの実験室であっても手順を守れば同じ結果が生まれ同じ知識が認められる。このような場所のない場所(placeless places)としての実験室だけが客観性の名に値する知識を生みだすというのだ。これにより、これまでの生物研究が実践される主な場所であった野外のフィールドは知識生産の場所として不適だとされはじめる。自然には一つとして同じ場所はないではないか。場所に拘束されたフィールドからは、個別的な知は生まれても普遍的な知は生まれない。

 フィールドで生物学を行う研究者たちは、このような状況の変化に対応して、フィールドで生みだされる知識の信頼性を調達するすべを生みださねばならなかった。どうするか。フィールドを実験室のように場所のない場所にすることはできない。むしろ個別的な場所の特質を最大限引きだすことを研究者たちは選んだ。つまりあたかも実験室であるかのように扱えるような場所的特徴をもったフィールドをいかに選び、そこでいかに観察を行うかが決定的重要性を持つようになった。たとえば環境的にきわめて孤立した場所を選べば、そこでの生物種、その個体数、そしてそれらの時間に沿う変化をほぼ完全に追跡することができる。こうして伝統的な自然誌の手法を踏襲しながら、その観察に実験室で行われているのと同じレベルの精密性を持たせることができる。あるいは他の環境条件は同じで高度だけが急速に変わっていく山の斜面を選べば、高度の変化に伴う気象の変化が、いかにそこでの生物種のあり方に影響するかを観察することができる。同じようにまるで自然のうちに、自然がおこなった実験の記録を読みとることも行われる。たとえばニューギニア周辺の群島では、メインランドからの距離やそれぞれの島のエコシステムに依存して、特定の種にさまざまなヴァリエーションが生じていることがわかる。これは同じ種をさまざまな環境に移動させて、そこでいかなる進化をとげるかを観察するという実験結果が手元にあるということを意味する。

 実験室での知識生産に匹敵するほどの信頼性をフィールドでの知識生産に持たせる必要が生まれた結果、フィールドでの科学ではある場所の特質を見抜き、そこから科学的洞察を引きだすことに信頼性がかかることになった。これを著者は「場所の実践(practices of place)」と呼ぶ。実験室が場所のない実践を志向して客観性を目指すのにたいし、フィールドでの科学はある場所の特殊性を最大限に活かす実践を見いだしたのであった。