12世紀のプラトン主義 Gregory, "The Platonic Inheritance"

A History of Twelfth-Century Western Philosophy

A History of Twelfth-Century Western Philosophy

 哲学史研究の大御所による12世紀プラトン主義の概説である。12世紀の哲学者がプラトン主義にアクセスする経路は多様であった。彼らの教説のうち『ティマイオス』(前半部のラテン語訳が知られていた)から直接とられたものと、他の著述家(カルキディウス、マクロビウス、ボエティウスアウグスティヌスなど)からとられたものを区別することはできない。むしろヘレニズム時代から初期キリスト教の時代のあいだに形成されたプラトン主義(これ時代きわめて複雑である)を、独自のやり方で吸収したのが12世紀のプラトン主義と言える。

 12世紀の哲学者の多くは、プラトンの哲学とキリスト教の教義は一致すると考えた。この一致を証明するために彼らはプラトンの『ティマイオス』のうちに隠された意味を見いだそうとした。たとえばアウグスティヌス主義の伝統や初期教父のうちにみられるプラトン主義的モチーフがプラトン本人のうちに探し求められた。この手法をたとえばアベラールはマクロビウスが実践していたものとして正当化しており、そのマクロビウスの手法はヘレニズム時代の解釈学の伝統からとられたものであった。このヘレニズム時代の解釈学はキリスト教の聖書解釈にも引き継がれていたた。ということは、寓話や神話で表現された『ティマイオス』のうちに隠された意味を見いだす手法は、聖書解釈と同種の読みの実践としてとらえられることになる。隠された意味を探る『ティマイオス』解釈がひろく受け入れられた一因である。この読み方において、プラトンのうちに三位一体、創造神、聖霊(世界霊魂を聖霊とみなす読みがしばしばなされた)といった教義を読みとることが行われた。一方でコンシュのギヨームのように、宇宙論的な関心が支配的である『ティマイオス』注解を書く論者もいた(彼の解釈では、世界霊魂は聖霊ではなく、宇宙全体に広がる調和の原理である)。ギヨームはまた『ティマイオス』で示された調和的な世界像を、倫理や政治の領域に拡張して、プラトンからおよそ世界にあるべき秩序のあり方を導き出そうとした。

 プラトン主義は宇宙論の素材を提供しただけでなく、理性をもってして現実の原因を探求を行うという課題を哲学者に課した。世界はそれ独自の一貫性をもった原因と結果の総体として理解されるようになる。この理解を、神が下位の神々に宇宙形成を任せたという『ティマイオス』の記述が助けた。このような神とこの世界とのあいだに自然という媒介を認める世界理解と親和的であり、それゆえ受け入れられたのが新たに翻訳されたアラビア語文献に記された学説であった。そこでは神からはじまりこの世界にいたるまでの中間的な諸段階を認める世界像と、それらのあいだの占星術的な結びつきが認められていた。自然が独自の原理と認められるなかで、世界霊魂の解釈も変化する。世界霊魂は聖霊と同一視されることよりも、自然と重ねられることが多くなる(聖霊との同一視を行ったアベラールの学説が批判されたこともこの変化をうながした)。それはときとして事物のうちに宿る運動と生命の原理とされた。また世界霊魂はときにより抽象化され、宇宙にある秩序そのものと同一視された。たとえば自然法則、自然、世界霊魂、自然の正義、運命、神の知性といった語彙が同一の秩序を指すものとして並べられたりした(シャルトルのティエリ)。

 最後にプラトン主義を手がかりにより神とこの世界との関係をあらわすことが試みられた。一と多の関係について、一方では両者の断絶を強調して一なる神の超越性を認めることと、他方で多のうちにはかならず一があるとして、すべてを一なる神に解消する方向が共存していた(同じ著作のうちですら)。