科学における理解可能性 17世紀機械論の例 Dear, "Intelligibility in Science"

 自然に関するある理論を受けいれ、別の理論を拒否するとき、しばしば前者は理解可能(intelligible)であるのにたいして、後者は理解不能(unintelligible)と人は言う。17世紀の機械論が典型である。ホイヘンスは遠隔作用を想定するニュートンの重力理論は理解不能であり、重力に関する理解可能な「仮説」はデカルト流の粒子論をもとにつくられねばならないと考えた。

重力の理解可能な原因を見いだすためには、自然のうちに同種の物質からなる物体のみを認め、その物体のうちにはいかなる性質もないとし、そのそれぞれが他の物体に近づく傾向性は一切もってはおらず、ただ異なる大きさとかたちと運動だけを持っているとみなしたうえで、重力が起こりうるかどうか考える必要がある。

 多くの機械論者は、日常経験との類比で自然現象を説明する機械論は人間に理解できる説明方式だと主張した。デカルトによればこの理解可能性こそが機械論が真理であることを保証していた。たいしてガッサンディやボイルにとっては、機械論の最大の利点はそれが日常的な言葉で語れる理解可能な理論であるという実践的側面にあり、それが本当のところ必然的に真であるかは留保されてもよいものであった[そもそも機械論にともなう粒子論の経験的根拠は十分ではなかった;関連記事のMeinel論文参照]。デカルト流の厳密な要件から機械論を理解しようとすると、17世紀に機械論者はほとんどいなくなってしまう。粒子の存在論的な要件からよりも、むしろガッサンディやボイルが重視した日常性(とそこからくる操作可能性)から機械論を理解したほうが、17世紀に機械論が果たした役割をより深く知ることができる。この意味で17世紀の機械論は世界における存在のあり方についての立場というよりも、現象を説明するさいのやり方の問題であったと理解したほうが生産的だ。

 機械論が理解可能だというのはアリストテレス主義は理解不能だという主張とセットになっていた(むしろこちらの方が雄弁に語られた[何を否定するかで団結することについては関連記事中の山本論文を参照])。そのような主張はガリレオデカルトホッブズ、ボイルの著作のうちに大量に見いだすことができる。スコラ哲学が理解できないという彼らの告白はひとつには戦略的修辞であった。彼らは読者は自分の知性を信頼してくれており、それゆえその知性が理解できないとするアリストテレス主義の妥当性に疑念を挟むはずだとみなしていた(単に頭が悪くて理解できないと思われてはいけない)。アリストテレス哲学の理解不能さは、それがもはや自分たちが求める説明を提供しないとみなすことからも主張された。お湯が熱いのは熱という性質を持っているからではだめだ。「熱」という性質はもはや妥当な説明のカテゴリーとして認められないというわけだ。

 こうして機械論者は理解不能アリストテレス主義に理解可能な機械論を対置した。このとき理解可能とされたものがどうして理解可能であるかの説明はなされず、究極的にそれが理解可能なのは理解可能だからだという議論の構造が認められる。そもそもなにかが理解できるというのをそれ以上何か別の要素に還元して説明することはできない。あるいは還元したさきでもなぜそれが理解可能なのかという問いが発生してしまう。どこかで理解可能だから理解可能だと言い切る必要がある。この点で機械論哲学というラベルは規範的な意味合いを持っていた。それはちょうど現代において科学的という言葉が当該知識の正当性を指示するために使われるのと同じである。当時科学的であるとは機械論に沿っていることであり、非科学的であるとは沿っていないことであり、前者は理解可能で後者は理解不可能なのであった。現実を適切に記述することをめざす科学という営みがもつ特徴を抽出するためには、科学において何が理解可能で何が理解不能とされてきたかを様々な局面で調べることが有用だと著者はしている。

関連書籍

The Intelligibility of Nature: How Science Makes Sense of the World (Science.Culture)

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 有賀さんによる書評はこちら。

メモ

また17世紀の機械論者たちは、スコラ哲学者たちが本来は説明のための概念であった実体形相や第一質料をあたかも独立した事物のように扱っていることを批判した。そんな概念は理解不能だと。やや皮肉なことに実体形相や第一質料にかわって17世紀に独立した実体のように扱われはじめたのがほかならぬ機械論であった。