複数論と目的論 Pasnau, Metaphysical Themes, 25.5

Metaphysical Themes 1274-1671

Metaphysical Themes 1274-1671

  • Robert Pasnau, Metaphysical Themes 1274–1671 (Oxford: Clarendon Press, 2011), 591–96.

 複数論の弱点は実体の単一性が説明困難な点にあった。この問題にかんしてきわめて率直な議論を行ったのがスコトゥスである。彼は実体が特別な種類の単一性を持つことをまず認める。砂の堆積と人間は区別されねばならない。スコトゥスによれば、人間の単一性は霊魂と体の結合からなる。そのとき体は霊魂とは別の形相によってすでに現実態とされており、この形相をスコトゥスはforma corporeitatisと呼ぶ。

 この理性的霊魂と体との結合はいかに一体性を生みだしているのか。スコトゥスの答えは、それに答えることはできないというものだった。熱という性質がなぜものを熱するのかを説明できないのと同じように、実体形相が単一の実体を生みだす理由も説明できない。ここには根源的な事柄について哲学的説明を与えることに悲観的なスコトゥスの姿勢がよくあらわれている。

 だからといって実体の単一性について何もいえないわけではない。「それ自体で単一のものunum per se」とか「自体的存在 ens per se」とかといわれる実体は、多くの場合複数のものから構成される集積(aggregate)である。しかしそれは単なる集積ではない。それはそれらの全部分が共通の性質、ないしは本性を持つような集積である。複数論者は自らの立論がプラトン的二元論に陥らないために、この議論を利用することができた。理性的霊魂は人間という実体全体の本性を生みだし、それにより人間は単一の実体なっているのだと。

 だがこの議論は実体が単一であることの帰結を明確化してはいても、単一であることの原因は語っていない。この種の答えにもっとも近いものをスコラ学者たちは目的論に訴えることで与えた。それは13世紀後半のガンのヘンリクスから17世紀前半のFranco Burgersdijkまで一貫してみられる。たとえばBurgerdijkはいう。より不完全な形相はより完全な形相を受け入れるようにできている。そのため不完全な形相は完全な形相が与えられたときに破壊されるのではなく、そのいわば下地となるのだ(dispositioとなる)。またオレムによれば、感覚的霊魂によって現実化されている体は理性的霊魂によってより完全なもの(つまり人間)とされ、しかもそのようなものとして定められているのだろう。オッカムも同じ立場をとった。要するに彼らにとって人間が複数の形相をうちに有しながらなお単一であるのは、それら形相を有する諸部分がひとつの全体をなすように神によって定められているからである。そのように定められていることの根拠は形而上学的な原理からではなく、現にある自然の秩序に諸部分が持つ全体との連関からくる目的性が認められることより採られていた。