Radical Enlightenment: Philosophy and the Making of Modernity 1650-1750
- 作者: Jonathan I. Israel
- 出版社/メーカー: Oxford Univ Pr
- 発売日: 2002/09/12
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- Jonathan Israel, Radical Enlightenment: Philosophy and the Making of Modernity 1650–1750 (Oxford: Oxford University Press, 2001), preface and ch. 1.
ジョナサン・イスラエルの『ラディカルな啓蒙』は、近年英語圏で出された啓蒙主義に関する著作のうちでもっとも大きなインパクトをもった著作である(きわめて厳しい批判が寄せられていることを忘れてはならない)。その序文と第1章を読んだ。啓蒙主義の新たな捉え方を打ちだすにあたり、著者は以下の3点を強調する。まず啓蒙主義が知的な運動であったことを忘れてはならない。それは一部のエリートを中心にはじまった知的潮流が、ついにはフランス革命によって実現をみた歴史の展開を名指すものである。ここから次の主張がでてくる。啓蒙主義はフランスやイングランドに限定されない。啓蒙主義につながる知的な展開は、欧州全土で起きていた。啓蒙主義はヨーロッパで生じた現象である(だがその帰結は世界全体におよぶ意義をもつ)。
著者の最後の立場は、その啓蒙主義観にあらわれている。啓蒙主義は理性主義と世俗化をもたらした。これは宗教体制と政治体制の両方におよぶ。神の摂理、奇跡、来世の賞罰といった教義に裏うちされた信仰は批判にさらされる。これを廃棄して、数学がもたらす明証性をモデルに理性的に世界を把握しつくすことが目指されねばならない。同じように神が保証する絶対主義の政治体制も否定される。その垂直的で階層構造的な社会構造は、共和主義的、あるいは民主主義的ですらある水平的な社会に置きかえられねばならない。この意味で啓蒙主義はあらゆるモダニティの出発点である。
この啓蒙主義観から、著者の議論の力点は規定される。通常啓蒙主義を代表するとされる思想家の多くは「穏健派」に分類される。彼らは古い宗教・政治体制を批判した。しかしそれを根絶しようとはしなかった。それゆえ彼らは保守派と対峙すると同時に、より「ラディカルな」者たちを批判せねばならなかった。ラディカルな者たちとは、まさに上記の理性主義と世俗化の貫徹を目指す者たちである。彼らの思想の淵源はスピノザにあった。これら穏健派とラディカルな者たちの両面を、保守派は批判した。とくに彼らは穏健派の思想をラディカルな者たちの思想に引きつけることで、それらすべてを社会に混乱をもたらす危険思想として排除しようとした。このように啓蒙主義を構成した知的潮流は保守派、穏健派、ラディカルな思想家の3つのグループに分類される。もし啓蒙主義の意義を理性主義と世俗化の理念の成就に見るならば、最後のラディカルなグループがクローズアップされねばならない。
以上のような諸前提から著者の論述はスタートする。まず1650年から80年までが「移行期」として設定される。この時期に後のラディカルな啓蒙の土台となる思想が生みだされた。その後1680年から1750年までに、西洋の思想を理性主義と世俗主義にそって変革することが行なわれる。これがラディカルな啓蒙の本体にほかならない。
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