Radical Enlightenment: Philosophy and the Making of Modernity 1650-1750
- 作者: Jonathan I. Israel
- 出版社/メーカー: Oxford Univ Pr
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- Jonathan Israel, Radical Enlightenment: Philosophy and the Making of Modernity 1650–1750 (Oxford: Oxford University Press, 2001), 23–58.
『ラディカルな啓蒙』の第2章は、1650年以降にデカルト主義を中心とする新哲学が、欧州の各地で波紋を生みだす様を描きだす。特定の主張を提示するというよりも、従来の研究にもとづいて各地の状況を記述することに重点が置かれている。
1650年以前の統治者にとって、支配と密接に関係する学知は神学であった。統治領域での宗派を統一的に保つことがきわめて重要であったからだ。哲学は彼らの関心の外にあった。これが17世紀半ばに変化する。学知のヒエラルキーのうちでの神学の位置づけが脅かされる。かならずしも神学に基づかない人間、神、世界についての説明があらわれる。新哲学、とりわけデカルト主義がこれであった。そのような思想が広まった結果、各地で知的混乱が起こることとなった。ここにおいてはじめて統治者たちは哲学の論争に本格的に介入する必要をおぼえるようになる。
デカルト主義に代表される新哲学はまずネーデルラントに広まり、続いてドイツのカルヴァン主義諸邦に拡散していった。『知のミクロコスモス』の加藤論文(「スキャンダラスな神の概念」)がとりあげるウィティキウスが、この拡散に寄与した重要人物としてとりあげられる。もちろんデカルト主義の導入は波紋を呼ぶ。同じく加藤が近刊論文でとりあげるペトルス・ファン・マストリヒトが反デカルト主義者として大きな影響力をもった。これらの親・反デカルト主義はネーデルラントやドイツ語圏を越えて、スカンディナヴィアにも広がっていく。ライデンやユトレヒトで学んだものたちがスウェーデンに帰った50年代が転換点であった。その後デカルト主義は医学部を中心に支持を集めながら、論争の火種となっていく。フランスでは1671年に国王ルイ14世がデカルト哲学の教授を禁じた。ソルボンヌはいくどもデカルト主義を禁じる命令を出すことになる。だがこれらの禁令にもかかわらず、デカルト主義はフランスの知的世界に広まっていった。イタリアでは1670年代だからデカルト主義に代表される新哲学にどう対処するかが大きな問題となる。そこでは統治者の個人的気質や、当時の政治情勢が新たな哲学への寛容さの度合いを規定することになった。
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