革命思想の土壌と担い手 Israel, Radical Enlightenment, #3

Radical Enlightenment: Philosophy and the Making of Modernity 1650-1750

Radical Enlightenment: Philosophy and the Making of Modernity 1650-1750

 『ラディカルな啓蒙』の第3章は、新たな思想の発展を可能にした場所と、それを担った人々の階層、およびその思想が生みだした革命を正当化する論理をとりあげている。

 1650年頃よりあらわれはじめたラディカルな思想は、欧州全土でくまなく発生したわけではない。地方の貴族や高級官吏の図書館の調査からは、彼らが新たな思潮を持った書物をほとんど所有していなかったことがわかっている。ラディカルな思想は都市で伸長した。人の出入りが多く、商業や工業が盛んな都市において、伝統的な垂直的社会関係が揺るがされる。旧来の政治界法曹界、教会のそとで、議論の場所や議論の媒体が整備される。こうしてあらわれた新しい公共圏がラディカルな思想を育てた。そのような思想の持ち主の多くはミドルクラスの出自を持っていた。ラディカルな思想に共鳴した貴族たちは多くの場合、従来の貴族文化からなんらかの形で疎外されていた。公共圏の議論がラテン語ではなく俗語で行なわれるようになったこともまた、そこでの議論を伝統的な神学や法学の議論から切り離すことに貢献した。

 このような事情は同時代人たちによっても意識されていた。ハンブルクのある牧師によれば、田舎の人々は新しい思潮にほとんど侵されていない。職人や商人もまったく大丈夫とはいわないまでも、大きく影響されてはいない。むしろフランスやイングランドやオランダを旅している宮廷人、外交官、兵士たちこそ新たな思潮に感染している。別の人物はオペラ、バレー、演劇、仮装舞踏会のような娯楽への熱狂こそ、哲学好きの人々の良心を麻痺させ、神の裁きを恐れない精神を植えつけていると診断した。こういう者たちはホッブズやベールの著作を読んで、無神論者ですら有徳の生を生きることができると思い込んでいるのだ。保守派の診断によれば、神や教会から独立せんとする精神が新たな哲学思潮(とりわけスピノザに由来するもの)に飛びついたのだった。

 ラディカルな思想はさらに革命を正当化する論理を提供した。現在の体制に支配権を与えたのが神であるなら、支配の責任は神に対して負う。だが政治とはまったく世俗的な事柄だというスピノザディドロの立場に立つと、体制が責任を負うのは神ではなく人民である。であるならその責任を果たせない体制は、人民によって転覆させられねばならないのではないか。人民は革命の権利を有するのではないか。このような議論にスピノザディドロ自身は進まなかったものの、彼らの思想から革命を正当化する論理をとりだすことは可能であった。