誰がメガテリウムを見つけたか Duarte, "Between the National and the Universal"

 自然誌の歴史に関心を持つ者なら、キュビエのメガテリウムのことを知っているだろう。だがこの偉大な比較解剖学者がメガテリウムパラグアイの動物とあやまって呼んでいたことは知られているだろうか。実際には化石は今のアルゼンチンの領土であるルハンという街で発見されていたのだ。発見したのはその街でうまれたドミニコ会士であった。

 この事例はいくつものことを教えてくれる。まず自然誌という営みが地球規模の広がりを持っていたことである。その営みにはパリのキュビエだけだけでなく、ラテンアメリカの小さな村の人物も参画していた。だがその参画の仕方は等しくはなかった。メガテリウムといえばキュビエであり、実際の発見者の名前は歴史から往々にしてこぼれ落ちている。

 この論考で著者が唱えていることを要約するなら、このメガテリウムの実際の発見者(Manuel Torresという)を歴史記述のうちに組み込め、ということになるだろう。彼はいかなる動機から発掘に取り組んだのか。自然誌への参画を促すいかなる要因が当時あったのか(たとえば自然誌の研究を推進する政治的な動機が存在した)。彼のような人物がラテンアメリカから自然誌のプログラムに参画できるようになっていた条件とはいかなるものであったのか(交通、通信の整備などを考えねばならない)。このように問いを展開していくことで、キュビエだけでなくManuel Torresも登場する歴史を描けるだろう。そのときラテンアメリカはグローバルなネットワークのうちに組み込まれる。