アヴェロエスから16世紀にいたる自然の最小者の理論 Van Melsen, From Atomos to Atom

From Atomos to Atom: The History of the Concept Atom (Dover Phoenix Editions)

From Atomos to Atom: The History of the Concept Atom (Dover Phoenix Editions)

 原子論の歴史を扱う古典から、自然の最小者をめぐる議論を扱う箇所を読み直す。アリストテレス主義のうちで、自然の最小者(minima naturalia)の観念が発展するにさいし、ひとつの典拠となったのが『自然学』第1巻4章における次の記述であった。

だから明らかに、骨や肉やその他そうした或るものは〔したがってアナクサゴラスの言う無数の原理も〕、より大の方向にせよ、より小の方向にせよ、その大きさがどのようなものででもありうるということは不可能である。

ここから物質は一定以上小さくなることも、大きくなることもできないという原理が導かれることとなる。

 この議論を発展させたのはアヴェロエスであった。彼はたとえば、炎の量を少しずつ減らしていくと、それを超えるともはや炎が炎であることができないような最小の量に到達するという議論を展開した。たしかに事物は理論上は無限に分割可能である。線分は無限に分けることができる。だがその線分が土のような具体的な事物からなるときには、そのような分割を無限に続けることはできない。同時にアヴェロエスは量だけでなく、質に関しても最小者が存在すると考えた。それ以上質が弱まると、もはやその質がなくなってしまうような下限である。

 さらにアヴェロエスは分割後の存続可能性という理論的問題関心を越えて、観察される現象を最小者の観念を用いて説明した。「ある実体の生成、ないしは消滅において最初に生成、ないし消滅するのは、その実体の最小の部分である」。

 最小者を世界の具体的な構成要素ととらえる学説は、ラテン中世ではあまり発展をみなかった。アルベルトゥス、アクィナス、そしてアクィナスの支持者たちのあいだで、その観念の継承はみられない。新しい展開が見られるのは唯名論者のあいだでである。ビュリダンは物質は一定以上に小さくなると、安定して存在できなくなり、まもなく消滅してしまうと論じている。これは一定以上小さくなると存在できなくなるという従来の理論とは性質を異にするものであった。ここから、ザクセンのアルベルトゥスのように、周囲の状況次第で、物質の存続しやすさは変化すると唱える者が現れる。だがここからいかなる具体的物理状況が事物の存続に寄与し、寄与しないのかについての議論が展開されることはなかった。

 アヴェロエスの考えがもっとも発展させられるのは、やはりアヴェロエス主義者たちの手によってであり、たとえば16世紀の哲学者アゴスティノ・ニフォによってであった。ニフォはすべての物質はそれに固有な活動を行う。その活動は一定の量を必要とする。よってその量より小さくなれば物質はその物質であることができないと論じた。この前提からニーフォは量的変化も質的変化も最小者を単位として起きる非連続的なプロセスであると論じた。

 この段階に入ると、アリストテレスが『生成消滅論』で展開した混合の理論と最小者の議論が結び付けられはじめる。アリストテレスは混合は混ぜられる物質の「小さな部分同士が互いに並置される」とき起こりやすいと論じていた。この小さな部分をニフォはためらうことなく自然の最小者として解釈する。「元素が作用しあうときには、それらは最小者にまで分割される」。

 もうひとつの問題は混合物のなかで、材料となる物質の形相はいかなる状態にあり、またそれらの形相は新たに生じた混合物の形相といかなる関係に立つかというものであった。これにたいして16世紀のアヴェロエス主義者たちは、混合物の形相はその材料の形相から生じるという学説をとった。これはアキッリーニや、ニフォ、そしてザバレラにみられるものである。

 こうしてアヴェロエスが踏み出した最小者の物理的解釈は、のちのアヴェロエス主義者により発展させられ、ついには具体的な混合現象の解釈に適用されるにいたったのであった。