アルケミーとケミストリーの切断 Newman and Principe, "Alchemy vs. Chemistry

 化学史のヒストリオグラフィにたいして非常に大きなインパクトを与えた論文である。なお以下では錬金術、化学という言葉の代わりに、アルケミー、ケミストリーという語を用いる。アルケミーを錬金術と訳すと、字面の水準で自動的に金属変成の営みを指すこととなってしまい、本論の論旨上問題が生じるからである。

 アルケミーとケミストリーは異なる領域を指すと現在では考えられている。卑金属の貴金属への変成を目指すアルケミーをケミストリーと同一視してはならないというわけだ。この区別にはアルケミーに関するいくつもの考えが付随している。アルケミーは詐術である。アルケミーがよって立つ物質論は無機物に生命原理を与えている(vitalism)。アルケミーとは人間の内面の変容の過程を比喩的に表現したものである。これらは19世紀以来のオカルティズムの伝統のうちで形成された観念である。

 歴史研究上の難点は、アルケミーとケミストリーというふたつの単語が16世紀以来両方とも用いられてきたという事実から生じてきた。というのも歴史家たちは、この二者の現在における区別を、16世紀、17世紀にも持ちこんできたからである。だが初期近代の一次史料に当たってみれば、少なくとも1680年以前までは、アルケミーとケミストリーが区別されることなく同義に用いられていたことが分かる。ではどうしてこれらの言葉は、同義語から異議語へと変質したのか。

 この過程を理解するためには、初期近代におけるアルケミー/ケミストリーの教科書の伝統に目を向けねばならない。最初の重要な出来事は、Martin Rulandが1612年に出版したLexicon alchemiaeの記述にみられる。ここでRulandはalchemiaとchemiaは同義語だとする。ではal-chemiaにくっついているalとはなんなのか。Rulandによればそれはアラビア語において、chemiaという分野の威厳をもたせるために添えられたのだという。この誤まった語源論は、ジャン・ベガンの有名な教科書に引き継がれ広く流通した。

 この誤まった語源論が金属変成の術(chrysopoeia)を支持する者に使用される。Christophle Glaserはalという言葉によって尊厳の意味が添えられたalchemiaという言葉は、金属変成という最も高貴な分野だけを指すのだと解釈した。ただしここではまだケミストリーとアルケミーは分離していない。アルケミーはケミストリーのうちの金属変成を扱う部分を指すサブ・ディシプリンととらえられている。すべては正当な知識探究の営み内部での区分けの話である。

 決定的な転機は、Glaserのもとで短期間まなんだニコラ・レムリの『化学教程』の第3版以降にあらわれる。この版以後、レムリは金属変成の術を詐術として攻撃しはじめた。ケミストリーの一部である金属変成は、alという言葉により尊厳を付与されることにより、アルケミーと呼ばれている。しかしそれは実現不可能である。尊厳を付与する言葉としてのalが金属変成の営みの高貴さを指すというGlaserの解釈を引き継ぎながら、その営みの価値をレムリは否定した。このレムリの議論を借りたジョン・ハリスのLexicon Technicumにも同じ解釈が引き継がれる。こうして確かな学問であるケミストリーと、詐術のアルケミーを切り離すことが可能となった。この切り離しが『百科全書』のChymieの項目にとりいれられ広まることとなる。アルケミーとケミストリーの切り離しを啓蒙の時代の産物とみなしてはならない。それは17世紀における教科書の伝統からの帰結なのである。

 以上の記述から研究上の用語法についていくつかの指針を得ることができる。まず16世紀より前の時代については、アルケミーという言葉を用いればよい。一方アルケミーとならんでケミストリーという単語が用いられるようになった16世紀から17世紀にかけては、キミア(chymia)という古い形の英語を用いて、現代における区別を初期近代に持ちこむのを避けるべきである(アルケミーとケミストリーの両方の言葉が史料で用いられているのでアナクロニズムが起こりやすい)。特別に金属変成の営みを指したい場合は、アルケミーではなく、当時からより厳密に変成を意味していたchrysopoeiaを用いるべきである。