ザンキウスとプロテスタント神学の体系化 Burchill, "Girolamo Zanchi"


 イタリアからドイツ語圏に亡命し、ストラスブルクやハイデルベルクで活動した神学者ヒエロニムス・ザンキウス(Girolamo Zanchius, 1516-1590)の生涯を概観した論文である。Zanchiusの名前を16世紀末のプロテスタント知識人がしばしば挙げることからざっと目を通した。彼の生涯を追った論文本体よりも、その手前に置かれている概論部から学ぶことが多かった。宗教改革の初期にあっては、ルター派にせよカルヴァン派にせよ、神学というのは聖書の解釈に他ならなかった。そこで必要とされたのは、それぞれの教義について関係するパッセージを集めた資料集であった。メランヒトンの “loci communes” に典型的にあらわれているような「コモンプレイス神学」である。ここから体系的な神学理論は発展しなかった。

 16世紀後半にこの状況が変化する。アウグスブルクの和議によるルター派信条の公認、トレント公会議以降のカトリック神学の再隆盛、三位一体の教義への異議申立ての出現といった事態が、神学論争を激化させた。神学教義をめぐる論争書が大量に生みだされた。これら対立する立場それぞれの論理的構成と、その形而上学的な含意を検証する必要が生じた。ここから内的に一貫しており、論理的に正当化可能な体系的神学を構築しようとする機運がたかまった。それはアリストテレスの哲学の枠組みで、プロテスタントの諸教義を基礎づけようとするあらたなスコラ学を生みだすことになる。

 ここにおいてザンキウスがあらわれる。1553年よりドイツ語圏で活動を開始した彼は、トマス・アクィナスによりながら包括的な神学をうちたてようとした。それによりプロテスタント圏において前述のあらたなスコラ学が成立するにあたって大きく貢献したわけである。