整理し、表現し、学ぶ医学者 Giglioni, "Girolamo Cardano: University Student and Professor"

 16世紀において医学知識はいかに伝えられるべきと考えられていたかを、ジローラモカルダーノを素材に探る論考である。カルダーノが書物を著したり、講義を行ったりするときに気にかけていたのは、書かれたり講じられたりする内容が一定の秩序に沿っているかであった。秩序は世界のうちに備わった性質であるがゆえに、世界について語る際にも秩序が保たれねばならない。秩序をもった著作構成という点でカルダーノが高く評価していたのはアヴィセンナだった。アラビア語で書き、ムスリムであったアヴィセンナへの風当たりは、ギリシア語の医学テキストが広く利用可能となっていった16世紀にあって強まりつつあった。この風潮に抗してカルダーノは医学著作において重要なのは、政治や宗教や言語ではなく、確かな知識であるとしてアヴィセンナの有用性を擁護した。簡潔で秩序だったアヴィセンナ『医学典範』の記述は、冗長なガレノスをはるかにしのぐと彼は考えた。

 効果的に知識を伝えるための技法をいくつかカルダーノはあげている。まず秩序だった叙述を達成するためには著者は自らが書いたものを読み直し書きなおさねばならない。そうやって書かれた文章は読者の目の前で論じられている事柄が展開されているような質を備えていなければならない。この点でカルダーノはガレノスを評価していた。たいしてヴェサリウスの論述はあまりに簡潔であり理解がむつかしい。「もう一人のヴェサリウスでなければヴェサリウスを読み理解することはできない」。もちろんヴェサリウスの『ファブリカ』は、それまでのすべての解剖学書をしのぐ傑作であるとカルダーノもまた認めていた。しかしそう認めながら、カルダーノは『ファブリカ』が適切な教材だとは考えなかった。有限な時間しかない生徒たちに解剖学を伝えるには、ヴェサリウスの図像よりも、別の医学者が残したよりラフなスケッチの方が適切だと彼は考えていた。

 ここからわかるように、カルダーノは身体部位を描いた図像の使用も推奨していた。医学教育に適した図像は、レオナルド・ダ・ヴィンチの描く絵のようであってはならないと彼は考えていた。レオナルドの絵はたしかに美しい。しかしそこでは内臓の数などが正確に描かれていない。そのため医学を学ぶには不適である。結局のところレオナルドは「単なる画家であって、医師ではなく、哲学者でもないのだ」。人体模型も有用である。だがそれは実際の人体で構成されていてはならない。むしろそれは金属でできていなくてはならない。そうすれば長持ちするし、さまざまな方向に折り曲げることもできる。

 最後にカルダーノアフォリズムによって医療を学ぶ重要性を説いていた。すばやい判断をこれまでの知と経験の蓄積のうえに下すことが求められる医学者にとっては、知見が短く凝縮されたアフォリズムを通じての学びが最適だというのである。

 自らについて多くを語り、またその著述技法についても詳しく論じたカルダーノは、16世紀において知はいかに整理され、いかに表現され、いかに記憶にとどめられておくべきと考えられていたかを探る結構のサンプルを提供しているのである。

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