霊魂論からアンソロポロジーへ Cellamare, "Anatomy and the Body"

 プロテスタント圏での自然哲学の再編成をあつかう最新の論文である。16世紀の北方の神学者・哲学者たちは、霊魂をめぐる学問(scientia de anima)のうちで、身体に関する論述を手厚く行いはじめる。そのときの論述は解剖学に依拠して行われた。この霊魂論への解剖学の流入はいかにして起きたのか。

 転換点となったのはフィリップ・メランヒトンの霊魂論である。メランヒトンはルターに忠実に、堕落した状態の人間は事物の本質には到達できないとみなしていた。そのため彼は人間に固有の霊魂に関しては、哲学による定義は断念し、それをただ聖書のみにもとづいて「知的精気 spiritus intelligens」と規定するにとどまった。しかしメランヒトンはルターとは異なり、アリストテレスの哲学を大学教育に再導入しようとしていた。そこで彼は感覚的霊魂と植物的霊魂に関しては哲学的探求の余地を残す。なるほどそれらの霊魂の本質を堕落した人間は知ることはできない。しかしそれらがもたらす効果なら、経験的に観察することができる。この経験により、「身体の、とりわけ人間の身体の本性全体」を把握したのちに、その理解を土台にして私たちはこれらの霊魂の本質に接近することができる。この経験的な観察を提供するのは解剖学であった。こうして霊魂論の主題のうちに、人間の霊魂のみならず、その身体が含みこまれた。霊魂論は人間の本性全体を対象にする(この本性こそが、ルターの理解では神の恩寵の対象となる)

 この霊魂論にはさらなる神学的意義が付与されていた。創造主としての神の知恵を認識することを、解剖学は可能にしてくれるというのだ。人間の身体という「機構 machina」がきわめて精妙に設計されていることを明らかにすることにより、解剖学は神の認知へと人を導くというわけである。この点でメランヒトンは解剖学から神へと至れると説いていたガレノスとヴェサリウスを高く評価した。

 メランヒトンの霊魂論のとらえかたは、ルドルフ・スネリウス(1546-1613)に引き継がれながら修正される。スネリウスはメランヒトンと同じく、霊魂論を人間の本性全体をあつかう学とみなした。この本性は霊魂と身体からなっている。スネリウスはメランヒトンより明確にこの二つの構成要素から人間が構成されていると主張した。人間は霊と肉からなるがゆえに、人間本性をあつかう霊魂論には身体をあつかう解剖学が含まれねばならない。

 だがスネリウスは神の認識へと至る道に関しては、メランヒトンのように解剖学がその有力な道であるとは論じなかった。むしろ彼はメランヒトンの別の理論を利用する。メランヒトンは数学的観念と倫理が人間に生得的に備わっていると強調した。これは再洗礼派やツヴィングリ派とルター派を区別するための彼の戦略の一環であった。この生得観念をスネリウスはとりあげる。このような生得観念は神からしか来ない。よってこの生得観念を認識することから神の認知へと至ることができるというわけである。

 オットー・カスマンもまたスネリウスのように、人間本性が霊魂と身体からなり、この全体をあつかう学問分野が必要であると考えた。前者の霊魂は「霊魂論 pychologia」があつかう。後者の身体は解剖学があつかう。ではそれら領域全体をなんと呼べばよいのか。カスマンはそれを「人間学 anthropologia」と呼んだ。こうしてアンソロポロジーメランヒトンによる霊魂論の再定式化の帰結としてもたらされるのである。この人間論の根幹には、カスマンのキリスト論がある。この点に関してこの論文は詳述していない。著者の別論文を待てということのようだ。いずれにせよ、このキリスト論とメランヒトンの霊魂論が交差した点に、最初のアンソロポロジーは成立したのであった。