フラカストロ研究のアナクロニズム 田中『科学と表象』第1章

科学と表象―「病原菌」の歴史―

科学と表象―「病原菌」の歴史―

  • 田中祐里子『科学と表象 「病原菌」の歴史』名古屋大学出版会、2013年、41-85ページ。

 ジロラモ・フラカストロをあつかう第1章である。哲学史のうちで忘れ去られていたフラカストロは、20世紀初頭に再発見される。『シフィリス』と、とりわけ『伝染について』の著者としてである。後者のなかで彼が提唱した理論が、19世紀末以降の細菌学の発見を先取りしていたと考えられたからである。この再発見には、梅毒(フラカストロの主題のひとつでもあった)の病原菌がちょうど確定されるとともに、英米での医学史研究サークルの広まりによってももたらされていた。だがこのように現在の細菌学の知見をフラカストロに読みこむのはアナクロニズムであるとの批判が多くの歴史家からなされるようになる。たしかにフラカストロは、タネ(あるいは苗床 seminaria)であるところの汚染された「感覚できない極小の粒子」が、自らににた体液に付着すると、増殖を開始して、ついには体液全体が汚染されるにいたるとして伝染を説明する。この増殖する種をフラカストロを再発見した歴史家たちは微生物のようなものとして理解した。だがフラカストロの議論は実際には19世紀の先取りではなく、16世紀半ばの時点で利用できた哲学上の学説を利用して構成されたものであった。