信仰義認によるアリストテレスの追放 Kusukawa, Transformation, ch. 2 #1

The Transformation of Natural Phil (Ideas in Context)

The Transformation of Natural Phil (Ideas in Context)

  • Sachiko Kusukawa, The Transformation of Natural Philosophy: The Case of Philip Melanchthon (Cambridge: Cambridge University Press, 1995), 27–49.

 ルターの右腕フィリップ・メランヒトンが、いかにルター派の教えに適合するかたちで自然哲学を組み換えていったかを論じた基本的研究書である。

 信仰義認論を唱えるルターは、この教えを既存の教会は宣べ伝えそこなっていると考えた。ここから従来の神学教育と、それと密接に結びついたその他の大学教育制度が強く批判される。1517年2月には、アリストテレスとロンバルドゥスの『命題集』に学生たちが唯々諾々としたがっているさまを非難している。同年9月の「スコラ哲学に反対する討論」では、善き行いにより義とされるという教えを攻撃し、この教えを支持する書物であるアリストテレス倫理学書は「恩寵の最悪の敵」であると論じた。ルターにとって唯一の権威は聖書であるべきであった。ここから聖書を読むための言語の訓練には価値が置かれることになった。

 ルターの意向に沿うかたちで、1518年よりヴィッテンベルク大学のカリキュラムが変わりはじめる。ギリシア語とヘブライ語の教授職が設置される。大プリニウスを教える講義がはじまる。新たな翻訳を使ったアリストテレスについての講義が行われる。これらの変更にともない、従来のようなラテン語の翻訳を用い、ラテン世界でなされてきた注解の紹介に重点を置く教育から、原語で古代の著作を読みこむことに主眼が置かれるようになる。同じく1518年にはインゴルシュタットドミニコ会士であるJohannes Eckらの批判に対抗するかたちで、ハイデルベルクでルターは討論を行う。そこではたとえばアリストテレスの自然哲学は神学上価値がないばかりでなく、その主な主題である自然の説明自体としても無価値なのだと断定されるようになった。この激しい批判は、トマス主義者たちの批判によってうながされたものかもしれない。ルターによれば、「トマス・アクィナスは異端的事柄を数多く書き記し、アリストテレスによる支配をつくりだした。あの敬虔なる教えの破壊者による支配をだ」。

 1518年の8月にフィリップ・メランヒトンがヴィッテンベルクのギリシア語教授に就任するにあたっての演説を行った。メランヒトンはそこでこれまでのスコラ学者たちが堕落させてきた言語に、透明さを取り戻さねばならないと主張した。メランヒトンの才能を見いだしたルターは彼に接近し、メランヒトンもまたルターに惹かれていった。メランヒトンは神学を学び、パウロのローマ人への手紙への講義を開始する。これが最初のルターは神学の解説書である『Loci communes』として1521年に出版されることになった。

 1518年の9月に、ルターは再びアリストテレスの哲学をカリキュラムから追放するキャンペーンを開始していた。学位を取得するのにその倫理学書を修めていなければならないという要請は外すべきである。トマス主義の『自然学』講義はなくすべきである。それに続けてスコトゥス主義の講義も順次廃止して行くのが望ましい。代わりにオウィディウスの『変身物語』を講義するべきである。要望が聞き入れられないなか、メランヒトンの昇給を要求したルターは、昇級後の給与に見合うポストとして、アリストテレス『自然学』の講義がメランヒトンに打診されるという結果をえた。ルターは激怒する。「アリストテレスの『自然学』のうちには自然世界についての本当の知識はなにひとつない。形而上学にしても霊魂に関する書物にしても同じ水準である。彼[メランヒトン]の知性をこのような狂気の泥沼に溺れさせておくべきではない」。メランヒトンもまたアリストテレスを教えるのを拒む書簡を送った結果、どうやら昇給を確保しつつ、プリニウスを教えるという解決策がとられたようである。

 この後も1521年にいたるまでルターとメランヒトンはともに教育改革を訴える文書を発表していく。自然に関する知識自体は有用である。とくに医学上の知識は価値がある。しかしアリストテレスにもとづき、従来の大学教育の基礎となっていた教育は排除されねばならない。それは信仰義認論によってたつ新しい教えを広める妨げとなるからである。このようにしてルターとメランヒトンは、アリストテレスの自然哲学を大学から追放しようとした。だがいかなる教育がそれに代わるべきか。この問題にメランヒトンは21年以降直面していくことになる。