恩寵の自然学によるアリストテレスからの離脱 Schabel, "Place, Space, and the Physics of Grace"

 ペトルス・アウレオリ(ca. 1280-1322)による形相の強化・弱化の議論、および彼の場所概念をめぐる議論は、すでにピエール・デュエムやアンネリーゼ・マイアーがとりあげている。しかしアウレオリの議論はいくつかの理由からいまだ十分に検証されていない。第一に、関心がオックスフォードに集中してきたため、1315年から1335年のパリ大学の研究が手薄である。第二にアウレオリの議論は、神学的著作の中で展開されており、この種の資料はまだ中世哲学・科学史家によって十分に調査されていない。最後にアウレオリの考えを理解するに十分な校訂版がいまだなく、さまざまなヴァージョンがからみあう写本調査をせねばならない。

 1317年には完成した『命題集』第1巻への注釈のなかで、アウレオリは恩寵はいかにして増加するかという問題を扱っている。これは一見するときわめて特殊神学的な問題に見える。しかしそうではない。なぜならアウレオリによると、恩寵についていえることは付帯的形相についてもいえるからだ。恩寵がいかに増加するかを理解すれば、たとえば金属がいかに暖かくなるかも理解できることになる。恩寵を入り口に変化という現象についてアウレオリは考察しているわけだ。

 恩寵が増加を説明するにあたり、アウレオリは二つの説をしりぞける。ひとつは以前にあった恩寵がキャンセルされて、より大きな恩寵が加わることにより、増加は起こるという説だ(Godfrey of Fontainesの考え)。この説をとると、連続的な増加を説明するためには、無限の数の恩寵の段階を通過せねばならなくなる。もう一つは、非恩寵的なものが減少することにより、結果として恩寵が増加するという考えである。残る考えは、恩寵の増加は既存の増加に恩寵がさらに加わることによって起こるというものだ。このとき恩寵が内的に増加すると考えるのが、アクィナス、ガンのヘンリクス、Hervaeus Natalisらの立場である。これをアウレオリは拒否する。彼が支持するのは、恩寵が外部から到来することによって、元来の恩寵が増大するという考えである。これはスコトゥスらの見解だ。だがこの見解にも注意が必要だとアウレオリは考える。この考えではまるで恩寵を水のようにとらえてしまっている。バケツいっぱいの水にもういっぱい水を加えれば、水の量はバケツ二杯になるだろう。だが恩寵とはこのように連続的で分割可能なものではない。恩寵が二つありそれが合体して大きな恩寵になるなどとは考えられない。恩寵は分割されえず、常に一体のものとしてある。では増加はなぜ起こるのか。いよいよ彼自身の見解を述べるにあたりアウレオリの言葉はあいまいになる。彼はどうやら恩寵に到来するのは、恩寵そのものではなく、また恩寵から離れては存在していないなにものかであると考えていたようだ。ここにアウレオリの考えの特徴を見ることができる。彼は、既存の立場を詳細に検討する。これに不合理を見いだしてく。それら不合理のすべてを回避する立場をとろうとする。だがこの立場は、「〜でない」ものという、否定的な術語で表現されるのみである。その実際的な内容を理解するのは容易ではない。

 さて、恩寵がキャンセルされて、より大きな恩寵が加わることにより、増加は起こるという説をアウレオリは否定していた。実はこの説は移動の問題にもかかわっている。というのもこの説にしたがって、移動とはある物体が最初に有していた場所がキャンセルされて、別の場所を獲得する過程として理解できるからである。だがこのように場所移動を理解すると、連続的な運動を説明するために、無限の数の場所を物体は獲得し、喪失せねばならなくなる。だが実無限は想定できない。アウレオリによればこのような不合理は、場所を分割可能な自然学的なものと考えるから生じる。むしろ移動を考えるときには、場所は物体がそこにあるのを可能にしている抽象的空間としてとらえられねばならない。このような物体とは独立に場所を理解していく立場は、未完に終わった最後の著作ではよりはっきりと提唱されるようになる。付帯的形相が連続的に入れ代わっていくという説の否定は、恩寵論の本体では把握の困難な増加の理論を生みだし、場所理論では物体と切り離された空間としての場所理解をもたらしたといえる。

 アウレオリの場所・空間論は、アリストテレスの場所概念からの離脱をたしかにしめしていた。だがこの点に関する彼のもっともはっきりした言明は、多くの写本には含まれていない箇所でなされている。よってそれが広く読まれたとはいいがたい。だがアウレオリの場所理解は、ニコラス・ボネトゥスに引きつがれている。〔ボネトゥスの著作は、フランチェスコ会学院の標準的教科書として広く読まれることになる。事実彼のMetaphysicaの写本数はきわめて多い〕。ボネトゥスの場所論は、Franciscus Toletusの議論に反映されている。そのToletusの議論は、科学史家グラントがアリストテレスから離反していくルネサンスの動向の一端としてとらえたものであった。