アレクサンドロスにおける質料より現れる形相 Caston, "Introduction"

  • Victor Caston, "Introduction," in Alexander of Aphrodisias: On the Soul; Part I, Soul as Form of the Body, Parts of the Soul, Nourishment, and Perception, trans. Caston (London: Bristol Classical Press, 2012), 1–22.

 アレクサンドロス『霊魂論』の新英訳にふされたイントロダクションである。アレクサンドロスの霊魂論はプラトン哲学と鋭い対比をなす。『パイドン』のなかでは、霊魂は物質が生みだす調和状態であるのか、それともより神的で物体より高貴な何ものかであるかという二つの見解が提示されている。だがアレクサンドロスによればこのような対立は見かけのものにすぎない。霊魂というのは高貴であると同時に、あくまでも自然の産物であり、それゆえ可滅的だと考えることができるというのだ。

 これはアリストテレスが唱える質料形相論からくる結論である。すべての存在は質料と形相からなる。例外はない。最も単純な四元素からはじまり、極めて複雑な人間にいたるまで、すべては質料と形相の結合である。この点で生物と非生物のあいだに区別はない。非生物の形相と、生物の形相(霊魂)は完全にパラレルに理解できる。では単純な存在の形相と、複雑な生命の霊魂を分けるのはなんなのか。

 これを理解する鍵は、アレクサンドロスによる事物の構造の理論にある。最も単純な四元素は、第一質料と形相の結合からなる。こうしてできた四元素が、今度はより複雑な存在の質料となる。四元素という質料と別の形相の組み合わせが複雑な存在を構成する。このようしてできた存在が再び質料となって形相と結合することにより、さらにより複雑な存在を構成していく。これが意味するのは、ある存在の複雑さの度合いは、それを構成する質料の複雑さの度合いに依存するということである。この質料側の複雑さの度合いの違いが、形相側の複雑さの度合いの違いを生みだす。

 では質料の複雑さによって変化する形相とは何なのか。アレクサンドロスは、形相とは非物体(asomata)であるとする。これはどういうことか。この見解はストア派の理論への対抗として理解せねばならない。ストア派によればすべては物体であり、世界は作用する物体と作用を受ける物体から成りたっている。だがアレクサンドロスによれば、物体そのものと、物体が作用を及ぼしたり、作用を被ったりできることとは区別されねばならない。平たくいえば物体と物体が有する能力(性質)とは区別されねばならない。後者の能力こそが形相である。ある事物の形相とは、その事物を特徴づけるような活動をその事物に行うことを可能にしている能力にほかならない。

 この議論を質料の問題とリンクさせると次のようになる。特定の質料の状態が実現すると、それが特定の能力(形相)を有するようになる。この意味で質料は形相を生みだしている。だがこの形相(能力)は、単なる質料の総和から導かれるものではない。新たな質料の状態にともなって現れた新たな能力である。よって新たな事物の特質を決定するのは、この形相が可能にする活動となる。こうして形相によって区別された複数の事物が集まり、新たな質料の状態を実現する。すると新たな能力が発現する。これがより複雑な事物の形相である(生物の場合霊魂と呼ばれる)。まとめるならば、質料の状態が形相を生みだし、その形相によって特徴付けられた事物が、質料として特定の状態を実現することにより、新たな形相が発現する。これが繰りかえされることで複雑な事物が構成されていく。

 最初の問題に戻るならば、このような形相は質料に還元されないという点で高貴である。しかしその存在は特定の状態の質料があってはじめて保証される。よって形相(霊魂)は質料なしには存続できず、それゆえ可滅的である。