ロバート・ボイルの錬金術 Principe, Aspiring Adept, epilogue

The Aspiring Adept: Robert Boyle and His Alchemical Quest

The Aspiring Adept: Robert Boyle and His Alchemical Quest

  • Lawrence Principe, The Aspiring Adept: Robert Boyle and His Alchemical Quest : Including Boyle's "Lost" Dialogue on the Transmutation of Metals (Princeton, NJ: Princeton University Press, 1998) 214–22.

 ロバート・ボイルが金属変成を志す錬金術活動に従事していたことを明らかにした研究の結論部分を読む。

 錬金術の歴史を検討するさいに何よりも注意せねばならないのは、現在の私たちの区分を過去に持ちこまないことである。ロバート・ボイルの研究の場合、彼を「近代化学の父」として、ファンタジーにふける錬金術の伝統と対比させることが長らく行われてきた。だがこの研究が明らかにしたのは、そのような二分法はボイルにたいしてのみならず、初期近代の全体にたいして成り立たないということであった。実際ボイルはそのキャリアの初期から金属変成を志す錬金術の活動に携わっていた。彼のなかでこの活動と、後に化学とされるような活動とのあいだに衝突はなかった。それらは彼の自然へのアプローチという点では一体のものであった。

 むしろ歴史家が立てるべき区分は、諸近代の化学・錬金術(キミア)の内部にあった多様な要素である。ボイルの錬金術は、ニュートン、センデヴォギウス、アッシュモール、ベッヒャーの錬金術とは区別せねばならない。ではボイルの錬金術の特徴とはどのようなものであったか。大きな特徴は、彼がほぼ一貫して「水銀学派」に属していたということである。これは一般的な水銀を「哲学的に」とりあつかうことから賢者の石の生成ははじまると考える学派である。

 このようなボイルの錬金術キャリアを追跡するとわかるのは、錬金術をめぐる彼の立場が時期によって変化をとげていることである。残念ながら従来のボイル研究の多くは1660年代に書かれたマテリアルに集中してきた。そこから現代の実験にもとづく科学のあり方を確立したボイル像が構築されてきたのである。だが実はこの時期はボイルが最も錬金術に関心をしめしていなかった時期だった。しかし以後のボイルは錬金術への関心を高めていく。1670年代の終わりには金属変成を目撃したことにより、賢者の石の探求が一層深化する。さらに彼の生涯の最後の20年間は、賢者の石が持つであろう霊的な働きへの探求がみられるようになる。この変化の原因は確定できないものの、無神論への警戒の増大や、機会論哲学の限界に彼がますます気がつくようになってきたことが背後にあるのかもしれない。

 ボイルの錬金術活動を検証するとわかるのは、その活動がインターナショナルであったということである。ボイルは大陸、とりわけフランスの人々と密に連絡をとりあっていた。このような実態があるにもかかわらず、過去の科学史研究は調査対象をナショナルな単位で限定し、しかもそうやって限定された対象がおうおうにしてブリテンであることがあった。だがボイルとその同僚たちはフランス語、イタリア語、ラテン語、そして時にドイツ語を同時に扱えたのであり、このような多言語に通じる能力は現代の英語話者のあいだでそうであるほどに稀であったわけではない。またボイルの錬金術活動は多様な協力者とともに行われていた。今後の研究はこのような共同研究を推し進める人物としてのボイルの側面も明らかにしていくだろう。

 ボイルが錬金術の活動に従事していたということになれば、近代科学の立役者という伝統的に彼に与えられてきた評価は揺らぐのだろうか。だがすでに述べたように、錬金術と近代の科学(化学)を対立自体が後代の産物である。ボイル個人は機会論哲学と自らの金属変成の探求のあいだに衝突をみていなかった。錬金術と化学という二項対立よりも、17世紀の化学(キミア)にあった連続性をみなければならない。ボイルは普通考えられているほどには新しくはないし、錬金術は考えられているほどに古くはないのだ。これと関連して、情報の開示を重視する近代科学の特徴をボイルに帰することにも慎重にならねばならない。彼は錬金術をめぐる情報は安易に開示されるべきではないと考えていた。

 伝統的なボイル像から最も理解が困難なのは、ボイルが賢者の石を使って天使と交信しようとしていたことだろう。だがボイルの活動を理解しようとするならば、彼の宗教的関心を常に念頭においておかねばならない。実際金属変成への彼のアプローチは、キリスト教への彼のアプローチとパラレルであった。金属変成への目撃証言があれば、それは信用されねばならない。もし目撃があるのに信じないのであれば、それは神の奇跡の目撃証言があるにもかかわらずそれを信じないことになるではないか。金属変成も奇跡もすべては唯一の神の業の一部であり、ボイルはそのすべてに統一的なアプローチをほどこしていた。

 科学史研究において最も研究されてきた領域の一つである17世紀のうちで、しかもその最重要人物の一人とされてきたロバート・ボイルについてすら、まだ探求されるべきことが大量に残っていることが明らかとなった。イデオロギーや各種研究「プログラム」に沿って過去を切り出すのではなく、本格的な史料調査に立脚したソリッドな歴史研究が必要とされている。