中世普遍文法学の舞台裏 関沢「12世紀における文法(学)の普遍性」

 西洋中世学会若手セミナーでの関沢和泉さんの発表に衝撃を受けたので、関沢さんによる論考を遅ればせながら読む。チョムスキーエーコにも通じる射程の広さが、中世ラテン語著作の読解にもとづく精密な差異の識別と両立させられている。

 ダンテ『俗語詩論』の研究のなかでマリア・コルティは、ダンテが提唱する普遍文法の観念は、彼が当時のスコラ学の様態論学派から学んだものだと主張した。これにたいして普遍文法の観念は、様態論者に限らず13世紀後半にはひろく支持されていたと中世哲学史家たちは反論した。そこにウンベルト・エーコが介入し、なるほどダンテの着想の源泉を様態論者に限定することはできないにせよ、後期中世の文法学のなかに人間に固有の言語能力に着目する議論があるということは興味深く、これはまさに現代のチョムスキーの言語論に類似するものであると論じた。こうして12、13世紀の西欧ラテン世界にある「人間には普遍的かつ生得的に言語能力が備わっており、その能力を基礎に個別言語が生みだされる」という考えが注目されるようになる。

 しかし中世の議論をより仔細にみるならば言語能力、生得性、普遍文法といった議論の各要素の結びつきのありようは、より慎重に検証されねばならないことがわかる。たとえば言語能力が生得的であるからすべての言語に当てはまる普遍的文法学が構築できる、とは必ずしも主張されていなかった。また言語能力が生得的というときに、厳密になにが生得的とみなされていたかについても注意が必要である。

 たとえば文法学の普遍性を保証するための議論として、ダキアボエティウスはそれぞれの動物種が固有の意思疎通の手段を備えているように、人間は音声言語による意思疎通の手段を生得的に備えていると論じた。しかし同時に彼は、別の議論も用意しており、そこでは言語の対象が単一の外的世界であり、その単一の世界に文法構造が依拠するという点から文法の普遍性を論じてもいる。あるいはマルベのミシェルのように、言語を人間知性の産物とみなして世界から切り離し、そのうえで知性の普遍性から言語の学の対象の普遍性を確保するという議論もみられた。普遍文法を導く議論は一通りではない。

 とはいえたしかに13世紀後半の文法学者のあいだで、人間知性が備えた能力の普遍性から、文法学の普遍性を唱える(マルベのミシェルにラディカルなかたちでみられるような)議論がひろくみられたのはたしかである。このような議論の背景をなすのは、12世紀のグンディサリヌスの議論である。グンディサリヌスはその著作において、ファーラービーに大きく依拠しつつも決定的な点で意見を異にした。ファーラービーによれば、言語に関する知は語彙を扱う第一の部門と、その語彙からの派生とそれらの組みあわせからなる構文を扱う文法の部門からなっている。ここでこの二番目の文法学についてファーラービーは、それを普遍的な論理学と対比させ、ある特定の言語内部での規則を論じる学問として規定する。こうして言語を横断する文法学の理念は否定される。これにたいしてグンディサリヌスは語彙を扱う第一部門と、派生・構文を扱う第二部門という区分を継承しながらも、第二部門の普遍性の問題ではファーラービーと意見を異にする。グンディサリヌスの考えでは、第二部門たる文法学も学(ars)である以上それは一般的なものを扱い、それゆえその対象は言語ごとに固有となるのではなく、すべての言語に横断的にみられる規則とならねばならない。こうして構文に関する文法知は普遍的とされる。

 それと並んで重要なのは、個別言語の語彙の部分は子供によって自然に学ばれるのにたいし、普遍的な文法構造は生得的には獲得されず、学習によって学ぶ必要があるとされている点である。ということはグンディサリヌスにとっては、文法学は普遍的である一方で、生得的な普遍文法があるわけではないということになる。この構図に異を唱え、生得的な文法構造があるとロジャー・ベーコンが主張しはじめるところが、13世紀後半の論者たちにみられる知性にもとづく普遍文法という考え方の直接的な背景をなしていく。