詩と自註の饗宴 ダンテ『饗宴』#1

ダンテ全集 (4)

ダンテ全集 (4)

  • ダンテ『饗宴』「ダンテ全集 5」中山昌樹訳、新生堂、1925年(日本図書センター、1995年)、3–9ページ。

 大正期に出された「ダンテ全集」から『饗宴』の冒頭部を読む。日本語は古めかしく、また訳文にも現在の研究水準からすると多々問題があるのだろう。しかしそれでもダンテが言わんとすることはわかる。先人の偉業に感謝したい。

 アリストテレスが『形而上学』の冒頭でいうように、「万人は生まれながらにして知らんことを欲する」。じっさい、知識こそ私たちの霊魂の完成であり、そこにこそ私たちの幸福がある[cf. スピノザ『知性改善論』]。だがこの幸福に多くの人は到達できない。肉体に欠けるところがあったり、精神が邪悪にのっとられもっぱら歓楽のみを追求してしまう。また家庭や公民としての義務に時間がとられてしまい、思索する余暇がない。あるいはそもそも学術に接することのできる環境にいなかったりする。

 ダンテはといえば、知識を習得し完成しているとはいえないものの、知を求めない人びとのいる「俗衆の牧場」からは逃れている。その両者の中間で、知識をえた人びとがついている食卓のしたにいて、その食卓からこぼれ落ちているものをひろい集めているのである。こうやって集めた食物を、忙しさや環境のせいで知識を習得できていない人びとに供する饗宴をひらこうという。

 供される食事は14のカンツォネからなる。これは歌として美しく人びとの耳を喜ばせるものである。しかしこれらの歌は真理を比喩的に述べたものであるので、こめられた真理を知るためには、比喩への解説が必要である。この解説もまたダンテ自身の手によって提供される。