はじまりとしての19世紀後半ドイツ Beiser, After Hegel, #1

After Hegel: German Philosophy, 1840?1900 (English Edition)

After Hegel: German Philosophy, 1840?1900 (English Edition)

  • Frederick C. Beiser, After Hegel: German Philosophy, 1840–1900 (Princeton, NJ: Princeton University Press, 2014), 1–14.

 19世紀後半のドイツ哲学を概観した近年の著作からイントロダクションを読む。

 本書が対象とするのは、1840年から1900年までのドイツ哲学である。だが一般的に19世紀のドイツ哲学が扱われる場合、焦点は世紀前半に置かれるのがふつうである。それは観念論とロマン主義の時代である。この偉大な時代にたいして、世紀後半は(しばしば同時代人にとってすら)停滞の時期とうつった。そこには盛りのすぎた観念論をもちあげるエピゴーネンたちと、哲学的にはみるべきところがない唯物論者しかいないとしばしば想定される。

 だがこのような想定はあやまりだ。まず19世紀後半は、哲学の歴史のなかでも、きわめて革命的な時期であった。観念論とロマン主義の退潮は、哲学の定義・独自性・使命についての確信を崩壊させた。そこから哲学とはなにか。哲学と経験科学の違いとはなにか。なぜ哲学をせねばならないのかといった問いがくりかえし問われるようになった。19世紀後半の革命性はまた、歴史主義の出現にも負っている。過去の偶然的な出来事を扱う歴史がどうして科学たりうるのかが執拗に問われた。

 さらなる革命性は、19世紀後半に起きた極度の世俗化からきている。19世紀前半には、理性と信仰を調停しうる考えとして、汎神論が広く支持されていた。しかしいまや汎神論もまた宗教の一種としてとらえられるようになる。こうして理性と信仰の問題は、徹底的な唯物論か、理性によらない信仰かというジレンマを先鋭化させた。ドイツが世俗化の中心地となったのは、第一に現代的な聖書批判が1830年代、40年代に登場してきたからであった。第二にドイツにもとから存在した唯物論の伝統の寄与があった。最後にドイツではダーウィンの進化論が急速に広まっていた。

 世俗化は哲学に深い影響をおよぼした。伝統的に宗教的な枠組みで問われていた悪と人生の意味についての問題が、神、摂理、霊魂の不死性といった前提とは独立に探求される。ここから「こんなにも邪悪でこんなにもつらみな人生に生きる価値なんてあるの、実際?」という問いが焦点として浮かびあがってきた。

 19世紀ドイツ哲学の研究は、ふたつの標準的な語られ方をしてきた。ひとつはその時代の哲学を、ヘーゲル哲学の変形の過程としてとらえる語り方である。変形に寄与したのは、青年ヘーゲル学派であり、マルクスであり、キルケゴールであり、ニーチェであった。この変形からマルクス主義実存主義というふたつの伝統が生まれた。このとらえかたはしかし、新カント派、唯物論論争、歴史主義、論理学、ペシミズムといった重要な展開を見逃してしまう。

 もうひとつの語り方は、ヘーゲルによるものである。ヘーゲルは観念論の歴史をカントにはじまり、ラインホルト、フィヒテシェリングを経由して、自らにおいて極点に達する伝統として記述した。ヘーゲル歴史観は、その後の哲学史をおおきく規定することになった。だがヘーゲルにしたがっても、私たちは多くのものを見逃してしまう。まずヘーゲル以降も観念論は継続した。トレンデレンブルク、ロッツェ、E・ハルトマンといった人物たちを単なるエピゴーネンとして片づけてはならない。またヘーゲルは自分の観念論とは対立する別の種類の観念論の存在を無視した。それはフリース、ヘルバルト、ベネケによってになわれた観念論である。最後にヘーゲルの語り方からは、ショーペンハウエルが落ちてしまう。だがショーペンハウエルこそ、1860年の死後、第一次大戦にいたるまでドイツでもっとも影響力のあった哲学者であった。彼の重要性の一部は、人生の意味への問いにたいしてペシミズムという答えを用意した点にあった。ショーペンハウエルがいたからこそ、新カント派や実証主義は科学を分析するだけのつまらない運動へと退化せずにすんだのである。

 標準的な語り方から離れるとき、19世紀のドイツ哲学はより豊かになり、同時により複雑となる。これまで重要視されてきた哲学者だけでなく、いまではマイナーとされている哲学者が、当時の論争で重要な役割を果たしていたことがわかってくる。そこで本書はいくつかの論争を通じて、19世紀後半のドイツ哲学をみていくことになる。