危機のなかの批判哲学 Beiser, After Hegel, #2

After Hegel: German Philosophy, 1840?1900 (English Edition)

After Hegel: German Philosophy, 1840?1900 (English Edition)

  • Frederick C. Beiser, After Hegel: German Philosophy, 1840–1900 (Princeton, NJ: Princeton University Press, 2014), 15–28.

 1840年代より哲学は深刻な「アイデンティティ・クライシス」におちいった。それ以前は、哲学の役割に疑念が抱かれることは少なかった。哲学の目標は、ラインホルトからヘーゲルにいたるまでの観念論の伝統によりはっきりと定められていたからである。それは、アプリオリで演繹的な方法にもとづいて、諸学を基礎づけることであった。このような基礎づけのプログラムは、40年代には説得力を失っていた。知識はアプリオリな推論からはえられず、むしろすべては経験から引きだされるべきだと、物理主義者(physicalists)も、初期の新カント派も、後期の観念論者も主張するようになっていた。

 この危機の背景には、世紀前半に経験科学が飛躍的に進展したことがあった。とくに実験生理学と心理学は、生命と心まで経験科学のうちの領域にとりこもうとしていた。このような経験科学は自律的であるがゆえに、もはや哲学による基礎づけを必要としなかった。また経験科学が知の領域をことごとく網羅するようになったため、哲学に残された固有の領域はもはやないように思われた。危機の背景にはさらに制度的な事情があった。哲学が心理学に還元されるなら、もはや哲学はひとつの学問領域ではなくなり、それゆえそこに予算を配分する必要もなくなる。競いあう諸分野のひとつとして生き残るためにも、哲学はその役割を定義せねばならなかった。

 危機に反応した最初の哲学者の一人に、アドルフ・トレンデレンブルク(Adolf Trendelenburg, 1802–72)がいた。彼はプラトンアリストテレスにさかのぼる「有機体的世界観」が現代の科学の進展のなかでも妥当性を失っていないと考えており、この立場から哲学の役割を定義した。『論理的探求』(1840年)でのトレンデレンブルクによれば、哲学が諸学を基礎づけることはできない。諸学は経験を基礎に自律的に進展する。むしろ哲学がなすべきは、諸学の成果を出発点にして、それらの学問で用いられている論理(や概念や前提)を検証することにある。それにより哲学は宇宙全体を対象とする一般的な形而上学をつくりあげ、有機体的世界観を裏づけるだろうというのだ。だが有機体的世界観を前提するトレンデレンブルクの理論は、1840年後半に新しい生物学と生理学を厳密に機械化しようとするプログラムがあらわれることにより、時代遅れのものとなった。

 1840年代前半には、ハレとベルリンでいわゆる「青年ヘーゲル主義者」「ヘーゲル左派」によって新しい哲学の定義が行われた。代表的人物として、フォイエルバハ、シュトラウスシュティルナー、ルーゲ、フィッシャー(Friedrich Vischer, 1813–87)、バウアー、マルクスがいる。彼らにとって哲学とは「批判(critique)」であった。あらゆる信念を吟味し、その妥当性を検証するのである。これは啓蒙主義の衣鉢を継ぐものである。批判のプログラムは聖書の批判的検証からはじまった。シュトラウスやバウアーは、聖書を啓示としてではなく、特定の時間と場所で人間が生みだした文書として扱った。この方向性の極点は、フォイエルバハの『キリスト教の本質』(1841年)にあった。神や聖霊は人間精神の産物である。にもかかわらずそれらを実体化し、それらに服従することで、人間は自己から疎外され、隷属の状態におかれてしまうというのだ。神学からはじまった批判は社会、経済、国家、教会へとその対象を拡大させていった。

 ヘーゲル左派のプログラムの起源のひとつは、1830年代の「チュービンゲン学派」での神学研究にあり、これはニーブールとランケの批判的歴史学の延長にあった。別の起源としてはカントの批判哲学がある。カントが理性は形而上学という仮象を生みだすとした地点に、ヘーゲル左派は人間の隷属の起源をみるのである。さらにもうひとつの起源としてヘーゲルがある。ヘーゲルにより要請された内在的批判の方法を、青年ヘーゲル主義者も受けいれたのである。

 ヘーゲル左派のプログラムにはしかし深刻な問題があった。哲学が疎外を発生させている錯覚をとりのぞく批判に尽きるのであれば、この課題が完了したら哲学はどうなるのだろうか。消え去るのだろうか。実際哲学は人類学に解消されるとフォイエルバハは考え、同じようにバウアーは歴史学に、マルクスは政治経済学への解消を想定した。また彼らは歴史の過程での進歩の観念を疑わなかった。しかし歴史もまた人間精神の産物ではないのか。最後に、批判的哲学者には仕事がなかった。国家や教会への批判を徹底させるからである。迫害に抗して理想を追求する点で栄光に満ちた批判哲学は、社会のうちで存続できないという点で惨めなものであった。