ハルトマンの無意識、ディルタイの歴史 Beiser, After Hegel, #4

After Hegel: German Philosophy, 1840?1900 (English Edition)

After Hegel: German Philosophy, 1840?1900 (English Edition)

  • Frederick C. Beiser, After Hegel: German Philosophy, 1840–1900 (Princeton, NJ: Princeton University Press, 2014), 45–52.

 哲学のアイデンティティ・クライシスを扱った章の最終部である。

 諸科学で用いられている概念や論理を検討するという哲学という考えは、新カント派が行ったように、科学についての科学といういわば二階の学問として哲学を特徴づけるものと理解できる。だが他方で、そのような哲学自体が一個の学問として、いわば一階の科学として、意義をもつと考えることもできる。この後者の考えを支持し、形而上学としての哲学をうちだしたのがエドゥアルド・フォン・ハルトマンである。同時代の多くの哲学者と同じく、ハルトマンも観念論のアプリオリな方法を拒否する。哲学もまた経験科学と同じく経験から出発する帰納的な方法をとらねばならない。哲学を経験科学から分けるのは、哲学が経験科学の諸成果を通覧し、そのあいだに相互関係をみいだしていく点にある。それを行ったのが彼の『無意識の哲学』(1869年)である。そこでは、世界の合目的的な成り立ちを説明する無意識が導入される。これはヘーゲルの精神やショーペンハウエルの意志に近い一方で、その基礎が経験科学の成果におかれている点で際立っている。しかしハルトマンの試みはいくつかの欠陥を抱えていた。ひとつには経験科学の成果が、どうして現象を究極的に統御している無意識の存在を指示するのが不明なことである。もうひとつは、ダーウィニズムである。自然の合目的性を機械的プロセスに還元する可能性を秘めたこの学説は、ハルトマンの無意識を無用にしないだろうか。

 ディルタイが哲学に与えた性格づけも、哲学のアイデンティティ・クライシスへの応答としてなされたものであった。ディルタイショーペンハウエルにならい、哲学は倫理的な役割を果たさねばならないと考えた。なぜ生は生きるに値し、人生ではなにを目指さねばならないかを哲学は告げねばならない。これらの問いへの答えが、「世界観(Weltanschauung)」である。ではどのような世界観が望ましいのか。それを定める方法の存在を、世紀末に生きたディルタイはもはや信じることはできなかった。むしろ彼は歴史主義をとった。ある哲学と、その哲学が提示する世界観は、ある歴史状況のなかで生まれ、そのなかで価値をもつ。世界観自体の優劣を決することは不可能である。だがこれは哲学は学問でないと宣告するのにほかならないのではないか。ディルタイは最終的には、哲学が掲げる普遍への要求と、その歴史的な起源とのあいだの衝突を調停することは自分はできなかったと認めた。

 1840年から1900年にいたるまでさまざまな哲学の定義が提唱された。それらはすべて危機を解消できなかった。あるものはあまりに適用範囲が狭く(新カント派)、あるものは時代遅れであり(トレンデレンブルク、ハルトマン)、あるものはあまりに自己破壊的であり(ヘーゲル左派)、あるものはあいまいであり(ショーペンハウエル)、またあるものは想定主義的に過ぎた(ディルタイ)。だがこれらの試みの失敗の結果、まさにそれらの試みを生みだした当の危機だけは解消されることになった。哲学は定義できないからこそ、それを根絶することもできなかったのである。