近世魔術の舞台 トマス『魔術と宗教の衰退』#1

宗教と魔術の衰退 (叢書・ウニベルシタス)

宗教と魔術の衰退 (叢書・ウニベルシタス)

  • キース・トマス『魔術と宗教の衰退』荒木正純訳、法政大学出版局、1993年、3–29ページ。

 16世紀、および17世紀のイングランドで実践されていた魔術的行為の意味を、当時のより広い文脈、とりわけ宗教と関連させて考察した大著である。着眼点の先駆性、調査の圧倒的量、そしてこれが著者のデビュー作ですかという絶望があいまって、極上の読書経験を提供してくれる。なによりもいたるところにあるユーモアが、悲惨な情景の描写のうちですら笑いを誘う。そこから魔術実践の前提となる人々の生活状況を描写した第1章を読む。

 16世紀、および17世紀のイングランドは前産業化社会であり、人口の多くは村や小集落に住んでいた。社会は階層化されていて、人口のうち上5%の土地所有者と知的職業階級の収入は、下50%の人々の収入の合計より多かった。ここから、偉大な文化が生まれる(シェイクスピアニュートン)が同時に、大半の人間は字が読めないという事態が生じた。というわけで、当時の社会はきわめて多層であった。そこに印刷技術の発明により、相異なる考え方が伝播し、保持されることが可能になっていた。この複雑な状況に歴史家は向きあわねばならない。

 魔術にあらわれている信仰の中心的な特徴は、不幸を説明し、それをとりのぞくことの関係するというものであった。そして実際人々のおかれていた環境はきびしかった。平均余命はいぜんとして短かった。多くの人々は常時病気をかかえていた。病気の一部は食料の供給不足からくる欠乏症であった(金持ちは生野菜を避け、鉄分を不足させ、肉ばかり食べ、便秘になり、ミルクを飲まず、膀胱結石になった)。貧しい人は腺ペストにかかった。

 医学は無力であった。「彼ら[医者たち]は多くの病気をまったく治すことができない」。そもそもペストの原因がわからなかった。「それはまったくよくわからない病気であり、いろいろな観察や論説が行われているにもかかわらず、いつまでもわからないままなのではないかと思う」。医学の無力さは認知されていた。「世の中に内科の医者が一人もいなければ、人はもっと長生きをし、もっと健康で生き生きとした生活が送れるだろう」。とはいえ、多くの人々にとって内科医にかかるのは費用がかかりすぎて不可能であった。外科医や薬種屋に行くこともできたものの、むしろ彼らは経験いってんばりの人(empiric)、本草家、ワイズ・ウーマンといった資格の外にある人々の治療を受けることを選んだ。あるいは家庭内での治療で対処しようとした。

 ペストにつぐ不幸といえば火災である。当時の家は燃えやすく、明かりはロウソクからとっており(「ロウソクを恐れなさい、よき妻よ」)、消火技術はノルマン・コンクェストから進歩していなかった。というわけで火災は頻繁に、そして大規模に起きた。火災が教えてくれるのは、人間は幸せから不幸へとあっという間にすべり落ちるということであった。

 このようなつらい環境に人々はしかし順応していた。一時的な暴動を起こすことはあっても社会改革を目指すことはなかった。むしろ彼らはより直接的な方法で悲惨さから解放されようとした。飲酒の習慣は広く広まっていた。大人から子供まで大量のビールを飲んでいた(現代より多い)。紅茶やコーヒーといった贅沢品と違い、ビールは安価だった。ビール一樽は、福音書4つより価値があるという異端者もいた。タバコものまれた(ただしこれはかなり高かった)。また賭け事にも人々は興じた。トランプや熊いじめ、闘鶏である。感覚を麻痺させ、悲惨な境遇を受け入れさせるこのような風俗をただすために、ミドルクラスの人々は活動していくことになる。

 このようなより直接的な逃避と並ぶかたちで、魔術にかかわる信仰は存在したのである。