デカルトの精神と延長 Maresius, De abusu philosophiae Cartesianae, §73

  • Samuel Maresius, De abusu philosophiae Cartesianae (Groningen, 1670), 73, p. 50.

 思うにデカルトは、とくに悪気なしに、精神と物体とのあいだに区別を立てた。しかしここから数々の神学上の誤りが生じた。まずはじめにデカルト本人であるが、彼は精神を身体(物体)に接続されたものとして理解した。だが身体から分離したものとは理解しなかった。この点についてデカルトがほんとうになにを考えていたかは不確かである。ただ、かりにデカルトが死後の霊魂の存在を認めていたとしても、彼の考えは霊魂の睡眠説と同じものとなるだろう。なぜなら霊魂の活動の多くは精気と松果腺の状態に依存するからで、これらは死後霊魂に残らないため、死後の霊魂はほぼなにもできなくなるからである。

 いずれにせよ、デカルトは霊魂が身体の運動にあわせて付帯的に動くことは否定しないのだから、霊魂が物体的な延長と類比的な、なにかしらヴァーチャルな延長を持つとは認めねばならない。実際、デカルトは霊魂が身体全体のうちにあるとか、松果腺のうちにあるとか論じている。これは、霊魂がなにほどか限定的な場所(definitivum ubi)を占めているということであり、それがまったく場所を占めないと述べているようには見えない。(74節に続く)