初期ベネケの構想 Beiser, Genesis of Neo-Kantianism, ch. 3

The Genesis of Neo-Kantianism 1796-1880

The Genesis of Neo-Kantianism 1796-1880

  • Frederick C. Beiser, The Genesis of Neo-Kantianism 1796–1880 (Oxford: Oxford University Press, 2014), 150–160.

 ベネケの最初の著作 Erkenntnißlehre (1820) にはすでに彼の認識論の基本的な構想があらわれている。彼の目標はカントのプロジェクトの完成であった。そのために彼は認識論の基礎である、判断の理論にとりくむ。判断をするとき、精神には常に二種類の活動がある。主語によってあらわされる活動と、述語によってあらわされる活動だ。両者が一致する、ないし後者が前者に含まれるとき、判断は真となる。この意味で[どの意味でだ?]、すべての判断は分析的である。数学でもそうである。よってベネケは、数学が空間と時間をアプリオリなものとして要請するというカントの見解を否定する。
 だが主語と述語の一致からなる真なる判断だからといって、それが現実世界で成り立っている保証はない。保証は経験から獲得せねばならない。ここでふたつ難問が生じる。第一に、経験からは決して普遍的な判断は得られない。完全な帰納は不可能だからだ。第二に、私たちは表象についての知識がほんとうに外界と対応する客観的なものかを判定する術がない。
 最初の著作で前提とされていた心理学についての理解が、次の著作 Erfahrungsseelenlehre (1820) では説明される。心理学はすべての学問の基礎となる。認識論を学問にできるのは心理学だけだ。なぜなら心理学は経験的だからだ。また知識を理解するためには、心を理解せねばならない。知識は心がつくりだすものだからだ。さらに知識の対象を同定したり名指したりするために使う名称も心の活動の産物なのだから、やはり知識全般の理解に心理学は欠かせない。
 この経験主義はカントの失敗を克服するために必須である。カントは知識は経験に由来するといいながら、ア・プリオリで普遍的な命題をえようとした。矛盾を解消するためには、認識論を経験に依拠させるしかない。この点でベネケはフリースとヘルバルトにならっていた。
 経験的な心理学は観察と帰納にもとづく。ただし方法論上の洗練された議論はなく、ベネケはたかだか内観(introspection)を念頭においていただけのようだ。心理学によって、さまざまな精神の活動は、基本的な活動の組み合わせに還元されていく。これら基本的な活動の束が個々の人間の精神となる。ベネケはこの活動を能力と呼ぶのを拒否しなかった。この点で能力心理学を完全に否定したヘルバルトとは異なっていた。人間の概念や言語や理解は、外界からの刺激が起こすさまざまな活動の組み合わせと、組み合わせの反復から生じる。人間が知識をえるさいにとくに重要なのは、感覚刺激からくる知覚活動と、知覚を組み合わせる活動(とくに因果関係として組み合わせる活動)だ。以上の構想ではすべての知識は経験に由来するので、ア・プリオリな知識は存在しない。主観と客観の区別も原理的にはない。
 すると普遍的な命題はえられないのではないか。ベネケは肯定に傾いているようにみえるものの、はっきりと明言しない。むしろ数学の例をあげて普遍的命題の可能性を探る。私たちはひとつの三角形の作図から、すべての三角形の内角の和が180度と理解する。おなじように他の分野でも普遍的な命題をえられないだろうか。だがこの議論をベネケは深めていない。
 Erfahrungsseelenlehre の半分は美学と倫理学にあてられる。美学は感情を扱う。感情は刺激と精神の活動のあいだの割合から生じる。三種類あり、喜び、崇高さ、美しさである。これらの感情が倫理を基礎づける。ある行動の道徳性は、それが崇高さを引きおこすか、美しさを引きおこすかによって判断される。倫理を美学に還元する点でベネケはカントに背いた。彼に言わせればカントの実践理性はオカルト質だ。またカントが定める絶対的な倫理上の規則な個々の状況を考慮しない不合理なものだ。むしろ感情に依拠した道徳こそが、公正で正確な判断をもたらす。
 以上が初期のベネケの基本構想である。